ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

バンコク永遠に封じ込められた愛 運命の人









わたしがなぜ、コレを書いているか?

この話は2200年前に雲南であった日本人とタイ人の同じ話だとわかったからです。



        輪廻です





f:id:reuterjapannews:20220413071108j:plainLove forever contained




人はいつまで生きれるかわからないので、記事が完成してませんが、写真の方だけでも発表しておきます。





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Asoke  violinist  世界一の報道カメラマンを目指していた頃の写真 だが、両刀使いのわたしは記事の方で世界一になった。しかし、世界は何も変わらなかった。日本人の紀元前の姿を追った取材ではない。わたしのほんとうの仕事はミャンマーで起こっている。そして、もう一つ。




  世界から最も愛される東南アジアの拠点都市バンコク。最大規模の観光都市が観光客から隔絶され、いったいどうやって生きて行ったのか?

そこで起こっていたドキュメンタリーを記録した。

 100年後の人のために!


バンコク恋物語で記録だけ一時、発表した記事ですが、これが「バンコク永遠に封じ込められた愛」の記事です。



Love forever contained















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Soi Cowboy




王の言葉と不朽の「クーカム」




わたしは最高学府の名に冠されていたチュラロンコーンが王の名前から由来しているのを駐在1カ月目に知った。



チュラロンコーン



タイ王国の運命が激動したのは、チュラロンコーン王(ラーマ5)、ラーマ6世の時代だった。1890年頃。


フランスとイギリスなど世界の列強がインドシナの覇権を目指し植民地化に凌ぎを削っていた頃のことだ。


当時、ベトナムはフランスに占領され、

イギリスはミャンマーとマレーシア半島を支配していた。



シャム王国もこの列強に切り崩される様に見えた。



しかし、

チュラロンコーン王は、この難局をイギリスにはマレーシアの一部を割譲。

フランスにはカンボジアラオスを譲渡する事で、サイアムの独立を守ったのだった。

知恵でシャム王国の未来を築き、建国の父の役割を果たした。

 1999年、アメリカの『タイム』誌で、「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」の1人にタイ人から唯一選ばれた。







英仏両国は、SIAM(現在のタイ)を緩衝地帯として三方にとって衝突しない方が得策だった。


チュラロンコーン王は現在のタイ王国の礎を築き、57歳で亡くなったが、彼は祖国を守った王として最高学府大学に名を残す。


列強のインドシナの占有ぶりを見て、ラーマ6世、7世は当時、最も文化が進んでいたイギリスへ留学させ、国の近代化に早くから目を向けさせることが、タイ王室の教育方針になった。


しかし、イギリスに滞在中に客死するタイ国の王もいた。


その系譜を引いてワチラロンコーン王子もドイツを滞在地とし、生活の基盤をドイツに置いたのだった。


それは近代化を終えて東南アジアの拠点にまで成長したタイには、もはや必要な留学ではなく、世俗には遊興にしか映らなくなっていた。


これがラーマ10世ワチラロンコーン王の王室問題に発展する。


タイ語には英語に訳せない言葉がある。

世界に配信された王の言葉

「タイは妥協の国だから」


この意味は、意を汲むなら、「チュラロンコーン王のように、戦いをするよりは、譲り合い、平和でいよう!」というメッセージだったのだ。



わたしのタイ紀行は、バンコクやイサーンに残る面白い慣習や風俗を捉える事から、タイ人の考え方、背後にある上座部仏教の考え方を少しづつだが理解しようとする段階に来ていた。



姿勢を正さないと見えない精神世界がそこには横たわっていた。


イギリス、フランスに続き、アメリカがロシアとインドシナの覇権を競って、何が起こった?


ベトナムはその犠牲になったのだ。


タイは戦争よりも妥協点を探りながら、粘り強く話し合いで、戦争を回避してきたのだった。


その国の姿勢は、タイの国民的に愛された小説をベースにした「クーカム」(運命の人)にも描かれていた。


そう、日本軍人小堀とタイ娘の悲恋を描いた永遠に残る話。


それは映画になっているので、あなたも観る事が出来る。


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かつて、日本人がタイで尊敬された理由がそこに残されていました。



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悲恋 SAD STORY

題名はタイ名「クーカム」(運命の人)

時は太平洋戦争前夜。旧日本軍は日中戦争に対する欧米列強の締め付けの打開策としてアメリカに対し真珠湾奇襲を敢行しますが、それと同時に戦争遂行に必要な天然資源を求め、当時イギリスに占領されていたマレー(現在のマレーシア)、ビルマ(現在のミャンマー)などの国々に侵攻。

この両国に侵攻するためには、タイ領土を通過する必要があるため、タイ政府に同意を求めますが、当然容易に同意を得られるはずがありません。

最終的には日本軍が一部無断侵攻した時点で、圧倒的な軍事力に屈し、日タイ同盟条約が結ばれ、日本軍がタイ領土に進駐することになりました。バンコクに司令部が置かれ、小型舟艇を作るためにその郊外の造船所を買収し、その造船所の所長として赴任してきたのが司令官の甥でもある小堀海軍大尉でした。

近くで果樹園を営む親子。娘の名はアンスマリン。苦学して大学に通う聡明で美しい娘でした。彼女には将来をなんとなく約束した相手がいました。村長の一人息子ワナスです。

彼は国費留学生として英国に5年間留学することが決まり、彼女に婚約を迫りますが、帰国したときに返事すると言って最後まで明確な態度を示しませんでした。ワナスが英国に旅立った後、ふとしたきっかけでコボリとアンスマリンは知り合いますが、彼女の侵略者に対する憎悪は大変なものでした。戦局が次第に日本に不利になるに従い、イギリスを中心にした連合軍の造船所への爆撃が激しくなり、彼女の家の付近もしばしば爆撃の被害に遭うようになりました。

そんな中、コボリは彼女の一家の安全を気づかい、心底面倒を見ました。そして次第に彼女を愛するようになりました。彼女もそんなコボリに次第に心を惹かれるようになり、何時戻るか分からないワナスとコボリの間で揺れる気持ちの整理がつかず、苦悩する日々が続きました。そんなある日、彼女がコボリと果樹園を語らいながら歩いているところを村のおしゃべり老婆に見られてしまう。噂に尾びれが付いて瞬く間に村中に広がりました。事態収拾のためには実際に結婚するしかないという事態に。

村長が彼女の説得に訪れました。またこの話は日タイ友好の象徴として、マスコミにも取り上げられ、さらに両国政府、軍関係者も後押しするようになり、彼女は気持ちの定まらないまま、結婚へと進まざるを得ませんでした。

やがて彼女は妊娠しますが、そんなある日、抗日運動のためにイギリスから秘かに戻って来ていたワナスが突然訪ねて来ました。

結婚の事実を知った彼は悄然と帰って行きました。気持ちの整理をつけたアンスマリンは、最近激務で帰宅できない夫を造船所に訪ねて行きますが、彼は対岸の工場地帯に出張中とのことでした。そのとき連合軍が初めてこの工場地帯に爆撃を行ない、対岸は火の海に包まれてしまいました。彼女は対岸に渡り、必死に夫の姿を探し、ついに瓦礫の下で虫の息の夫を見つけるのでした。

1973年にタイで初めて映画化され、その後も有名俳優によって何度も映画化されるに従い、タイ人のほとんどがこの物語を知るようになり、「コボリはタイで最も有名な日本人となりました。なお、この物語の原作者ウイモン・チャムチョローンはタイ国一流の女流作家、評論家であり、国会議員も務めた人です。1978年に西野順治郎氏によって「メナムの残照」の名で翻訳されています。



その後


その後のタイ国の歴史です。不本意ながらも日本軍の駐留を許したものの、アジアで唯一独立を維持しました。太平洋戦争が勃発する直前の1941年12月まで、タイは中立国を表明していましたが、当時のピブーン政権は最終的に日本軍の駐留を認め、日タイ同盟条約に調印、日本軍の物資調達にも協力しました。翌1942年1月に英米両国に宣戦布告しました。と言ってもタイ側の一連の行動はあくまで表向きだけでした。

由タイ」組織が結成され、そのもとで抗日運動が終戦まで平行して展開されました。終戦後、タイは英米に対する宣戦布告が無効であると宣言し、認められたため、敗戦国扱いを免れることとなりました。

そして、他のアジア諸国のように戦後処理の問題を引きずることもなく、戦後直ちに友好関係を再開することができた。タイ人の間で、日本を「友好国」と考える人が多いのは、太平洋戦争の最中での日タイ両国のこのような微妙な関係に起因するところが大きいようだ。



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日タイの美しき友情関係は崩れ始めていた❗️





https://m.youtube.com/watch?v=bDHShyS7zHo















わたしが唯一出来た事は、日本に住み続けている日本人が持っていた10ー20年前の虚像を修正する記事を報道仲間たちと連発する事だけだった。




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