ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

北タイ探検記41タップヌン 捨てられた取材note

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バンコクのスクンビッド通り。熱せられ路面からの熱気で空間が歪んで見えることが、、。ある😂




捨てられた取材ノート タップヌン




日本人の血筋を探す旅


日本-雲南-ラオス-イサーン-バンコク4300km





「チュアライカ」名前は?

「ヌーイ」

「アユタオライカ

「イーシップソン」22才よ。

タイ人やラオス人は生まれた時が1歳。日本人換算では21 国際法的にはその国の数え方が優先され、22歳!

「ペーフェン カンダイマイカ?」(恋人にならない?)

「イヤ❗️お前なんか!」


「えっ?」「なんで?」


「セックスが下手なお前なんか!」

 (えっつ、なんかおかしいぞ)


ここでやっと目が覚めたら、ヌーイがわたしの上に覆いかぶさって寝ていたのだ😂

頭を持ち上げても白目を剥いて寝続ける。


何でタイの女の子はこんなに天真爛漫なんだろう? 日本人女性と見た目は近い。しかし、この我()の強さ、自分中心主義、空気など読もうなんて決して思わない🤣


そして、背中の見事な入れ墨。


どんな高価な絵画🖼より、価値がある!


なんて美しい生きモノだろう❣️





証拠を補強してゆく



①日本(愛知県)で見つかった2000年前の日本人女性の奥歯から削り出されたDNAは、8000年前のラオス女性に繋がった。

アカ族系のハニ族へ。



②食文化と村文化の一致。鳥居、餅つきの方法など


 西双版納

赤米、熟鮓(なれずし)、納豆

漢民族地域にはない日本と共通する食品が今も作られ、米作中心の田園風景なども「日本人の原郷」を感じさせる。




DNA解析と上の図のD群の移動ルートが予想した日本への道と、タイへの道に分岐していた事を発見。




)研究の精度を上げるため、1ルートにつき、2つ以上の証拠を探す。





ラオスータイ(バンコク)

言語の比較共通


そうするとバンコクで話されている言葉と、ラオスで話されている言葉はおおよそ50%が一致。


歴史を調べると、タイの東北部に住むイサーン人は、タイの人口の3040%を占め、ラオ人。ラオという言葉を為政者にイサーンと改称させられていた。



ラオスと同一民族だった🇱🇦



言語、史実の2点で一致した


体はバンコクを起点に取材を進めていたので、先にタイーイサーンの関係を知れば、突破口が開いた。


それはラオスヴィエンチャンまで行けば確信になった。イサーン方言はラオ語と繋がっていたのだ。



探検の成果は

どこまで北上出来るか? にかかっていた



 迷い込んだ迷路

 探検を脅かした

  Note records 

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タイ人のルーツ


  現在のタイやラオスの祖先は、漢族の進出により、67世紀に黄河流域から西と南へ移動を余儀なくされた。


やがて雲南省の山間部まで移動し、さらにメコン川を下ったのがラオ族。チャオプラヤー川に転じたのがタイ族(ラーンナー王国がチェンマイ10世紀頃出現)

別れていきました。



   中国にはタイ族が約126万人が住んでいます。その他異民族が多く住む、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州にはタイ族が3分の1、漢族が3分の1、ハニ族、プーラン族などその他の民族が3分の1が生活していた。

街中には中国語とタイ語が並列した標識が並ぶ。


 タイやラオスと同じように水が神聖なものとされ、毎年4月半ばに迎える旧正月には聖なる水の神と仏教の釈迦に感謝をささげる「取水式」が行なわれる。


式典が終われば、一斉に新年を祝う「ソンクラン水掛け祭り」が開催される。

タイ全国で毎年開かれるソンクランは、中国南部🇨🇳、シーサンパンでも、ラオスの新年でも行われていた。


(実は日本の空手の新年の寒稽古は、ソンクランに似ていた事に気づいた。後の祭りだけど😂



 

 また野生の象が多く生息していたり、仏教が浸透していたりと、東南アジアの雰囲気が色濃く漂う。


 タイやラオスの人々の故郷でもある西双版納(シーサンパンナ)。開放的な南国のタイの雰囲気が味わえる。





羌チャン族は四川省チベット



 四川省のアバ・チベット族、羌(チャン)自治州を中心に住む少数民族のチャン族ー。


チャン(羌)族はチベット系の民族であり、古代より中国北西部の青海で遊牧生活を営んでいた。その「羌」の字は羊を牧羊する人を象形した文字であると言われる。

 

 チャン族の人々は山峰が幾重にも重なりあい、河川が流れる場所でトウモロコシ、大豆をなどの栽培。ここはパンダとキンシコウの主な生息地。


 汶川の蘿蔔寨はチャン族を代表する集落だが、四川大地震により「雲の上のチャン族集落」と呼ばれた美しい村は一瞬のうちに全壊した。


桃坪郷チャン族集落にある望楼は地震後も、そびえ立っており、古い村は依然として存在しており、地下水道網も破壊は脱がれた。



 チャン族の若い女性の結婚条件としてチャン族刺繍ができなければなりません。結婚式では必ず美しいチャン族刺繍を施した花嫁衣裳を着用し、雲雲鞋とよばれる雲の模様の刺繍が施された手作りの布靴を新郎のために作り、贈ります。

 






 チャン族は、前述の地域以外にも同州の各地に居住しており、シナ・チベット語族チベットビルマ語派に属するチャン語を話す。

もともと人口は30万人程度だが、四川大地震でその約30%を失ったうえ、多くの住居が倒壊するなど甚大な被害を受けた。








遺伝子D系統から二重に追跡し補強


羌族と日本人の共通点は、遺伝子染色体ハプロタイプ

いずれもD系統です。


日本人のY染色体ハプログループは、D1a2a(旧D1)であり、日本人の約40%前後はこの遺伝子を持っています。


羌族Y染色体ハプログループは、D1a1yと推定され、約20%から25%が比率を占める。


純粋なチベット民族の D1a1a系統の割合は、約50%

羌族 D1a1a 系統の比率が少ないのは、当時の漢民族とも深く長い関係がありました。そのため、O系統の割合が増えたことが考えらる。



D系統であるYAP遺伝子を持った民族は、世界でも非常に稀。


このYAP遺伝子を持つ羌族は、日本人との共通点も多く、日本人と何らかの関係があったとが考えられる。


秦の始皇帝に仕え、日本に渡来したとされる徐福や日本に多大な影響を与えた秦氏の元は羌族であったという説も存在する。


その理由は、羌族には優れた灌漑技術があるため、5世紀ごろに、日本に灌漑技術をもたらした渡来人集団と言われる。



 






捨てたイスラエルの話

迷路の入り口


 このチャン族が「失われた10支族」の末裔ではないかと主張しているのは、他ならぬイスラエルの国家機関「AMISHAV(アミシャーブ、アミシャブ)」だ。


彼らの任務は世界を股にかけて「失われた10支族」を探し求めることにあり、すでにインド、中国、ミャンマーなどで該当する民族を発見。


イスラエルへの「帰還」を果たした例もある。彼らが現在も分析を続けている民族の一つこそ、チャン族!



似ている! 羌チャン族とユダヤ人の風習


では、彼らを「失われた10支族」の末裔と考える理由はどこにあるのだろうか? 以下に、アミシャーブ代表のラビ・エリヤフ・アビハイル氏の著書『失われたイスラエル10支族』(学習研究社)で語られている内容を紹介する。


神の名前


まず、チャン族は自らを「アブラハムの子」と称しており、彼らの父祖には12人の息子がいたという。

これは、ちょうど旧約聖書ユダヤ人の父祖とされるアブラハム12人の息子がいて、後に全12支族につながるという記述と一致する。

チャン族の信仰形態はアニミズム(精霊崇拝)的な多神教であるが、その神々の最高位に位置するのは神を「アバチ(精霊の父)」または「ユイワ」と呼ぶ。この「ユイワ」は、旧約聖書に登場する唯一神「ヤーウェ(ヤハウェ)が転訛した可能性がある。


叙事詩の記述


チャン族には、『ムジショ』と『ピグニョ』という2つの叙事詩が受け継がれているが、これらによると、彼らの祖先は西北の草原地帯から移り住んできたという。

さらに興味深い記述は、たとえば羌人(チャン族の祖先)が天女ムジショと結婚するために天界へ行き、天帝から結婚の許しを得るが、「天界を去る時には決して後ろを振り向いてはならない」という忠告をムジショが破ったため、家畜のほとんどが逃げて野獣になってしまった――。


これは、ちょうど旧約聖書の『創世記』で、ソドムとゴモラが滅ぼされる際に神の使徒がやって来て、ロトの家族に「決して振り返るな」と言ったにもかかわらず彼の妻が背いたため、塩の柱になってしまった話と酷似している。

また、チャン族の叙事詩には「天神の怒りを買って洪水が起こった」という話もあるが、これも同様に旧約聖書の洪水話と似ている。


神への捧げ物


チャン族には「シピ」と呼ばれる宗教的職能者がおり、時には村全体のために、そして時には病人のために経文を読み、ヤギを身代わりに犠牲にする呪法も行うのだが、これはユダヤ人の風習「アザゼルの山羊」を想起させる。

贖罪の捧げ物として2匹の雄山羊を用意し、1匹を屠って神に捧げ、もう1匹を砂漠に放すというものだが、これが「スケープゴート」という言葉の由来にもなっている。


結婚制度


チャン族では、夫が死ぬと未亡人は夫の兄弟と結婚する。これは、ユダヤの「レビラート婚」と同じ制度であり、かつては日本の一部にもその風習があった。



歴と祭壇


 そしてチャン族は、農暦(中国暦)の101日を新年とするが、これはユダヤ暦7番目の月(9月か10月)を新年と定めている点に類似する。

他にも、山の頂上に築いた自然石の祭壇で神に犠牲を捧げる点、さらに家屋の扉の側柱に血を振りかけて家内安全を祈る点に至っては、ユダヤ人の「過越祭」とまったく同じだ。

 ちなみに、これと似た風習は沖縄にも残されており、血に浸した木の枝や家畜の骨を家の戸口や集落の出入り口に吊るす「カンカー(看過)」という行為も、イスラエルとのつながりを感じさせ興味深い。



10支族羌族日本人へと繋がる?


チャン族の信仰や生活には、古代イスラエルの民と共通する要素が実に多い。そして特筆すべきは、その一部が日本の文化でも見られることだろう。チャン族と日本人にも共通点が実に多い。


その容姿だ。

チャン族の女性には美人が多いことで知られるが、その中には日本の女優にいても不思議ではない顔立ちの人がいる。




 

 この言葉が日本人のコンプレックスをくすぐる魔法の呪文だった。




 だが、チャン族には天孫降臨神話も受け継がれており、自ら「天孫」を自認している。

そして最高位の神のほか、太陽神、祖先神、山の神、樹木の神などさまざまな神を崇拝することも、八百万の神々を信仰する日本人と同じだ。


しかも、チャン族は、日本語を聞くと大方の意味を理解できるという情報もある。意味と発音が似た言葉が多く、たとえば「タタミ」という単語は床を意味する。


『失われたイスラエル10支族』で紹介されている10支族の候補たちが住む土地を見ると、アフガニスタン、インド、ミャンマー、中国などのアジア諸国に点在している。

10支族は、イスラエルの東方へと向かったことになるが、その東の果ては、ズバリ日本である。ここで10支族とチャン族、そして日本人のつながりが見えてくる。同書でも、10支族の末裔の最有力候補として「日本」を挙げている。


これらはすべてイスラエルの国家機関が認めるほど信憑性の高い話である。もちろん日本人のすべてが古代イスラエル人の末裔であるわけではないだろうが、たとえその一部でも「聖書の民」の末裔だったとすれば、日本の歴史は塗り替わることになる。


今後、もしアミシャーブが日本人の一部を10支族の末裔だと認めたとして、イスラエルに「帰還」を望む日本人がいるだろうか? いずれにしても、真実を求めてさらに探求する価値はあるかもしれない。




北タイ探検記41-タップヌン





だが、これはループ次元という罠だった❗️