ナイル河渇水の大飢饉を救った
神官イムホテプの異常な能力
ジョゼル王にピラミッド建造を進言
その日、ナイル川はひえ上がり、カイロ周辺都市の人々も飢餓に苦しんでいた。
もう7年間もひえ上がったままだ。
歴史的な大飢饉である。この記事は「ピラミッドの謎解明 総集編」の2つ目の記事です。総集編というのは、メーンの「ピラミッド5000年の謎遂に解明-人類の未来に悲劇涙溢れて」の衛星本が4冊出来上がっているからです。再下段
ジェゼル王(別名:ネチェルイリケト)は、紀元前2700年ごろのエジプト古王国第3王朝のファラオ。
神官から宰相となったイムホテプに命じてこの階段ピラミッドを造らせました。
ピラミッド建造の理由として、ナイル川渇水による飢饉をしずめるためだったと伝えられる。
階段ピラミッドは、その名の通り階段状になっており、段数は6段。高さは62m、東西は125m、南北は109mあり、底面は長方形。地下28mの所には地下室が掘ってあり、玄室や回廊が作られました。
イムホテプは、ピラミッドの周辺に葬祭殿や王宮、寝殿ピラミッドなどの建造物を同時に造りました。これらを合わせてピラミッド複合体と呼びます。
階段ピラミッドは、他の古代文明にも見ることができる。
古代メソポタミアのジッグラト
アステカ文明における
階段ピラミッドです。
最も多くの階段ピラミッドが造られたのは、マヤ、アステカ、トルテカといったアメリカ大陸の古代文明である。
チョルーラのピラミッドやテンプロ・マヨールなどでは、古いピラミッドの上に新しい層が増築され、階段ピラミッドとなった。
Impotep という才能
真正ピラミッドが完成するまでを見てゆくと、この階段ピラミッドが原型であることがわかります。
神官と古代エジプトの人々は試行錯誤を重ねてピラミッドを進化させていったのでしょう。原型とはいっても、この壮大な規模には圧倒される
ジェセルは即位時の名称ではなく、階段ピラミッドなどにつけられた名はいずれもネチェリケトである。最初にジェセルという名が発見されたのは、彼の階段ピラミッドであったが、実際にはそのジェセルという名はエジプト新王国時代に書かれたものだった。
両者が同一人物だと確認されたのは、アスワンのへセル島にある「飢饉の碑」の碑文であり、第3王朝時代の日付のある部分にジェセルの名が刻まれている。
ジェセルの時代、エジプトはシナイ半島の鉱物資源によって得た富を用いて勢力拡大に乗り出し、南方のアスワン付近まで進出した。先のセヘル島の碑文も、勢力の拡大を示している。
トートの神官だった!
トートとはニンギシュジッダ!
トート神の神官であった、イムホテプを宰相として登用。ナイル川の渇水により飢饉になった際、ジェセルはイムホテプに下問すると、「ナイル川の水源の主であるクヌムの神殿に土地を寄進すれば再びナイル川は氾濫するであろう」と答えたという。また、史上初のピラミッドとも言われる階段ピラミッドをサッカラに建立させた。
イムホテプ
ジェセルからどうすべきか下問されたところ、ナイル川の水源の主であるクヌムの神殿に土地を寄進すれば再びナイル川は氾濫するであろう、と答えたと記す古代文書が発見されている。
また、史上初のピラミッドといわれる、ジィセル王のピラミッドを設計したことでも知られる。建築家としてのみならず、内科医としても優れ、死後には「知恵、医術と魔法の神」として神格化され、ギリシャの医神アスクレーオピオスと同一視された。
イムホテプはメソポタミア出身という説がある。
ジェセル王のピラミッドのそばには、名を記念したイムホテプ博物館がある。
イムホテプは2つの策を組み合わせエジプト最大の飢饉を乗り切ろうとした。
ピラミッド建造と同時に、ナイル河の水源として当時、考えられていてアスワンのエレファンティア島にカイロメーターとナイルメーターを設置する事だった。
水源の情報を把握しておくことがいかに下流の都市では重要かを教えてくれた。10mの水位の上下が測れる。
飢饉の碑(Famine Stela)は、エジプトのアスワン近くのナイル川のへセル島で発見された石碑。
象形文字で書かれている。第3王朝のファラオ・ジョゼル統治中の7年に渡る干ばつと飢饉が書かれている。この石碑は紀元前332年から31年まで統治したプトレマイオス朝時代に刻まれたという。
イムホテプはイタリア人のアマチュア天文家が発見した小惑星に「imhotep 」の名前がつけられ、星になった。
ピラミッドの謎解明 総集編1
https://note.com/reuter/n/n5641d59fd434
神官たちを操ったGodsとは?
#ピラミッド建造の謎解明総集編 #ピラミッド5000年の謎遂に解明