ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

ヤンゴンの最も長い夜 シャングリラホテルはクーデターの日を知っていた❣️

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2021/02/14 10:23

ヤンゴンの最も長い一夜 ドキュメンタリー


 シャングリラの名前は桃源郷を指す。わたしはここがくつろぐのだ。

この美しく格調高いロビー。

ヤンゴンで最も知られる5つ星ホテル「シャングリラ」。

ミャンマーのあらゆる政財界、軍部の要人が利用し情報が集まる要の様な存在。

ジャーナリストなら、派遣先のホテルがどの程度の要人が集まるのかを見極めてから投宿を考える。

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うっかり爆破されたらたまったものではない😂


2月1日未明、ミャンマー国軍によりクーデターが起こった!


 シャングリラホテルは、2月1日からほぼ1年間、閉鎖すると発表した。


香港を拠点とするシャングリ・ラ・グループは、ミャンマー最大の都市ヤンゴンにある『スーレ・シャングリ・ラ・ホテル(Sule Shangri-La Hotel)』が新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で2月1日から少なくとも9ヶ月間閉鎖することを発表した。


2月1日から少なくとも9ヶ月間閉鎖することを発表した。

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シャングリ・ラ・グループが発表した声明では、
「残念ながらビジネスレベルの低迷が長引いたため、他のすべての実行可能なオプションを検討した後、2月1日からヤンゴンのスーレ・シャングリ・ラを一時的に閉鎖することを決定した」
と述べられている。

ミャンマーでは2020年3月23日に初めてCOVID-19の症例が確認されて以降、商業用の国際便の運航が停止されている。

同国に2,000以上あるホテルのうち、COVID-19の影響ですでに1,000以上のホテルが閉鎖に追い込まれた。

ミャンマー・ホテル観光省によると、2020年12月末までに3万人近くのホテルスタッフが職を失ったという。

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順調だったがホテル経営が急落
スーレ・シャングリ・ラ・ホテルはヤンゴンの中心地に位置し、ショップや観光名所、ビジネス地区まで徒歩圏内にあるため人気が高い。ミャンマーのホテルの中で最大規模を誇り、客室は約470室ある。

1996年に国際的なイメージを高めようと22階建ての『トレーダーズ・ホテル(Traders Hotel)』をダウンタウンのランドマークとしてオープン。2014年には“シャングリ・ラ”ブランドの一部として豪華なイメージチェンジが行われ、稼働率が上昇した。

しかし、COVID-19のパンデミックにより収益が急落したという。

なお、同ホテルスタッフの多くは長期休暇扱いとなるが、給与の一部が支払われる。


2月1日未明


ミャンマー国軍が軍事クーデターで政権を掌握したことを受け、欧米を中心に非難の声明が相次いだ。国軍に拘束されたアウン・サン・スー・チー国家顧問の支持者はソーシャルメディアで怒りの声を上げた。
国軍は1日未明に、与党・国民民主連盟(NLD)を率いるスー・チー氏やウィン・ミン大統領などを拘束。「選挙の不正」を根拠に、ミン・アウン・フライン国軍司令官が国家権限を掌握したとし、1年間の非常事態宣言を全土に発令した。

キューバ🇨🇺ハバナでもホテルが一番の情報収集場所だった。

革命やクーデターがある時、最も情報が集まるのが、最上級のホテル。

シャングリラはうっかり、それを証明するどころか、プレス発表してしまった❗️

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爆破事件をホテルは経験していた


7年前の10月

ミャンマーの最大都市ヤンゴン(Yangon)にある高級ホテル客室で起きた14日夜の爆発事件について、ミャンマーの警察当局は15日、爆発が仕掛けられた爆発物によるものと断定した。ヤンゴン中心部にある「トレーダーズホテル(Traders Hotel)」の客室で起きた14日夜の爆発では、室内にいた米国人女性が負傷している。

このホテルがシャングリラなのだ。

 現場検証の結果、使われた爆発物は時限爆弾だったことが明らかになった。警察当局は15日朝、前日に同じ客室を利用していた男の身柄を南東部モン(Mon)州で拘束し、事情聴取を行っている。ただし、爆弾を仕掛けた人物として断定するには時期尚早だという。

 トレーダーズホテルでの爆発事件に先立ち、ミャンマーでは同様の事件が立て続けに発生している。

 首都ネピドー(Naypyidaw)から約65キロ離れたタウングー(Taunggu)のゲストハウスでは11日、爆弾の爆発で2人が死亡、1人が負傷した。またヤンゴンでも13日、別々の場所で2つの爆弾が爆発し、2人が負傷している。さらに14日には、同市とマンダレー(Mandalay)で手製の爆発物2つが発見されている。

ミャンマー当局は、これまでに容疑者2人の身柄が拘束されている一連の事件について、同国政府が進めている民主化移行プロセスの阻害を意図したものとみている。


モン州、モン族の名前が浮かび上がった



閉鎖するのが当然の経営判断だったのだ❗️




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モン族とは、中国ではミャオ族と改称させられた最大の少数民族グループ


ミャオ族(モン族)

中国では貴州・雲南を中心に分布。約900万人。伝説では5,000年近く前から登場しますが、漢代以降、中原から漢民族に追われ中国西南部へ移住してきたといわれています。


さらに、明・清時代の圧政の下、一部は、ベトナムラオスへ、ミャンマーへ移り住みました(ベトナムラオスではモン族と呼ばれる)。


銀細工ろうけつ染め、刺繍などに長け、特に祭りのときに身に着ける女性の民族衣装はカラフルで地域ごとに特徴があることで知られています。


納豆、もち米、味噌、しょうゆ、なれ寿司、歌垣、鵜飼などの共通点も多く、貴州民族学の草分け的存在である明治の人類学者・年鳥居龍蔵も同祖説を唱えています。


また、映画「ルーツ」が流行したころ(70代末)には、「日本人のルーツ探し」の対象としても注目を浴びました。




わたしは、そのモン族が日本に移動していた証拠を探していた。



もし、それが本当なら、アカ族系ハニ族が中国南部から日本に移動した最大グループ、その中に埋もれて見えなかった物語を蘇らせることが出来る。




銀装の民・ミャオ族

ミャオ族は、中国西南部の雲貴高原を中心に国境を越えてインドシナ半島北部の山岳地帯に広範囲に分布・居住する民族で、中国領内に約739万人、ベトナム領内に60万人弱、その他ラオス・タイ領内にも数万人規模で居住しています。 


貴州省は古名を「黔(けん)」と言い、その凱里を中心としたその東南部を特に「黔東南」と呼びます。 


その黔東南に住むミャオ族は、「青ミャオ」「黒ミャオ」などと呼ばれ、藍染の衣装にロウケツ染め・刺繍・織物・銀飾など多彩で豊かな伝統文化を守っています。


特にミャオ族の銀装は総重量20kgにもなるものもあり、他の民族衣装を圧倒するほどの迫力です。



姉妹飯節のお祭


子供だって銀装です!

(老屯)

そんな彼らの美しい衣装が見られる一番の機会はやはりお祭りです。

ミャオ族には旧暦の10月頃に収穫とミャオ歴の新年を祝う「ミャオ年」、中国の旧正月の数日後に各地で行われ、蘆笙の音に合わせて踊る蘆笙会、 男女の出会いを演出する台江、施洞の姉妹飯など数多くの祭がありますが、やはり銀装飾の華やかさから言っても姉妹飯節はその代表と言えるでしょう(「姉妹飯節」の「節」とは節句などと同義でお祭と言う意味です)。


姉妹飯節のメインは何と言ってもその迫力のある銀装です😂


ミャオ族の銀装は、非常に高価なもので、どの家庭でも全て揃っているわけではなく、家宝として母から娘へ受け継ぎながら、一つ一つ買い足していくのです。 


その細工も、村によって意匠が違い「鼓社節」では水牛を、施洞の「姉妹飯節」では鳳凰をあしらっているそうです。


お祭の当日には、多くの露店で賑わい、周辺の村々から銀装を身に纏った少女達がシャンシャンと銀細工のこすれる音をさせながら集まり、男達の太鼓の音に合わせて踊ります。

 

民家では赤や青、黄色に染めたもち米(姉妹飯)やご馳走、お酒が振る舞われ、祭はさらに盛り上がります。日本でもあったという歌垣が、ここでは今も行われているとも言われています。 


姉妹飯節の伝説

ずっと昔のことです。村には同姓の人ばかりなのに、ミャオ族のしきたりでは同姓の人と結婚できなかったので、皆なかなか結婚できずにいました。


そこで、年頃のきれいな娘たちは、遠くの村から若者に来てもらおうと、川辺でご馳走を作りお祭りを開きました。この噂を聞いて、付近の村からたくさんの年頃の男たちがやって来て、歌に踊りに、競馬に、闘牛、にぎやかなお祭りになりました。

娘たちはここぞとばかり厚くもてなし、別れ際には自分のハンカチにモチ米のおにぎりをたくさん包み、お土産として渡しました。


 これを出会いのきっかけに、男たちはしばしば遊びに来るようになり、それぞれ相手を見つけてめでたく夫婦になりました。


ミャオ族の伝説によると、姉妹飯節はこうしてはじまったと言われています。

現在でも姉妹飯節の時には、闘牛や、歌や踊りを繰広げ、姉妹飯というモチ米のおこわを食べ、若者たちは未来の恋人を探すそうです。





Ps  みなさん、ご支援ありがとうございます。ミャンマー、クーデターを放り投げて、現在、格闘しているのは、「北タイ探検紀」の取材です😂

わたしの丸い小さな写真(上)から、その連載が見れるので、訪ねて、是非、このバカは何をやっているのか見て笑ってくださいね。