The Man with Thunder
ニューヨークのスパイたち
明日亡きスパイ戦争
4つ巴の闘いの真相
The Man with THUNDER
ニューヨーカーホテルは開業当時は豪華な造りとデザインでニューヨークでも最先端のビルディングだった。何と地下鉄メトロ駅から直接地下に入れる。
ニコラ・テスラは75-85才の最期の10年間をここで過ごした。
有り余る能力の地下発電施設を備え、万一の停電時にはビルが必要とする3倍もの電力を供給出来る。
テスラが設計に関わっていたのだ。レストランが5つ、40人も客が一度に髪が切れる理容室まである。ニューヨーク一番の理髪店。
驚くのは銀行の地下金庫の大型円盤の重量ドアまで備えていた。
だが、テスラの部屋は意外にこじんまりとした必要最小限のキングサイズベッドが2つ、それにデスク、窓からの眺望がある普通の部屋だった。
テスラはタクシーに乗車していた時、交通事故で脚を痛め、しばらく健康を害して引きこもりがちだった。
ステッキを回しながら歩く颯爽とした姿は影をひそめた。
ニューヨーク市民図書館前の公園ベンチが彼のお気に入りで、そこにいる白い鳩にエサをやるのが日課だった。
銀幕ノワール
明日亡きスパイの世界
しかし、テスラが健康を害して引きこもりがちになると、事態が一変した。
同じフロアにアメリカ陸軍戦略室OSSの諜報員フィッツジェラルドが居住する。
スパイなのに名前(本名)までわかっているのは、彼が馬鹿だからではない。
ちゃんとマサチューセッツ工科大学を卒業している。
FBIが情報公開法で「テスラファイル3/3」を公開したから彼の存在が明らかになった。
フィッツジェラルドは以前のテスラの助手だ。テスラが人間不信になったのには訳があったのだ。
そして、その当のFBIもテスラと同じフロアに泊まり込んでいたのだ。爆笑
もう、ここまで来ると、戦前スパイ映画を自で行くノスタルジーさえ漂うが、毎日、スパイ二人はお互いの存在を知りながらレストランで食事をして、
「テスラは今日も生きてるのかな?」
とやっていたのだ。
「お前には絶対に渡さん❗️」
そう、スパイはスパイを見抜く。
しかし、これを出し抜いたもう一人の男がいた。
それはテスラの故郷セルビア大使館員のスパイ。サバである。彼はニコラ・テスラの甥っ子だ。
長い間、この甥っ子が話した事がテスラの死後に起こった事件の真相だと思われていた。
テスラさんが亡くなってホテルから連絡が入り行ったら、金庫も開けられ中身がないし、トランクもすべてFBIがもって行ってしまった?
だが、FBIは馬鹿ではなかった。
エイリアン・オフィスの人間にテスラが不覚な状態になったら、エイリアンオフィスつまり移民局の人間を導き入れ、金庫からファイルを出すと同時にトランク80個のうちほとんどを押収させたのだ。60個しかなかった。誰かが先に金庫の重要書類とトランク20個を盗んでいた。
トランプの叔父
その作戦を総指揮したのは前米国大統領トランプ氏の叔父さんである。顔が良く似ているなと思ったが、嘘つきなのか彼の言う「重要な資料ファイル、書類はなかった!」と発言している。
テスラの不覚をいいことにスパイが4つ巴の闘いを枕元で演じていたのだ。
そして、この闘いに勝ったのは何とセルビアのスパイ。サバ(テスラの甥っ子)だった。
彼は共産主義者でソビエト連邦のスパイとして、テスラの戦争最終兵器「殺人光線」の資料をソ連のために盗んだと思われていた。
サバ
サバの行方をたどるとベオグラードへ帰還した後、行方がわからない。モスクワへ?
だが、サバはテスラ同様に真っ直ぐな人だった。ソ連、ドイル、アメリカのスパイに持ち去られる前に彼が盗み出し、セビリアの首都ベオグラードに持ち帰ったのだ。
そして、セビリア政府に「ニコラ・テスラ博物館兼アーカイブ」を建設しこの世界のどの陣営にも渡らないよう地下に保管してくれと、けなげに要望したのだった。
サバは偉かった。さすがテスラの甥っ子である。
今まで疑って、すまぬ。間抜けな甥っ子だと思っていたら、
マルチバースの本当の意味
他宇宙解釈
亡くなる前年の1942年末、テスラはアメリカ参謀本部の特務機関であるOSSに
電話をかけ、自信の発明をプレゼンする約束を取り付けた。
ナチス打倒のために自分の発明を軍部に提言する機会を模索し続けていたようで
※OSS(Office of Strategic Services)国家戦略局 CIAの前身
死のプレゼン
1943年1月6日、OSSの将校2人が約束通りテスラの自室を訪れます。
1時間以上のミーティングでテスラはそれぞれの発明品について説明する。
円盤型航空機は不可視化が可能だと言ったという。
物体を不可視化する重力ジェネレーターの概念図
この時テスラは祖国アメリカを救う栄光を思い描いていたかもしれない…
しかし現実は違いました。テスラから書類を受け取った2人はなんと
彼を羽交い絞めにし枕を口元に押し付けたのです。
やがてテスラの心臓は鼓動を止め彼の最後の希望は霧散したのでした。
戦略司令官に昇格した
実はテスラが電話をかけた相手というのがOSS内部のナチス協力者であり
彼のもとに現れたのはナチス特殊部隊のオットー・スコルツェニーと
ラインハルト・ゲーレンだった。
一般にはテスラの死後、FBIが発明に関する設計図や特許関連書類を回収したとされているが、実際には大半をスコルツェニーらが奪いソ連に献上したというのです。
ナチス崩壊後に一度は拘留されたもののスコルツェニーは生き延びてエジプトの軍事顧問やイスラエルのモサドとして活動しました。
65才ごろ、北アフリカーイベリア半島付近で死んだとされる。これがイスラエル国家警察からに捜索に眼を欺くためだったとされる。
実際にはアメリカにフロリダでアメリカ人として92才まで生きたという。
その死の間際に彼は「私が殺した」と認めたのだった。
身長195cm 暗い黒髪、彫りの深い顔、ヒトラーのお気に入りだった。同じオーストリア出身で横顔がヒトラーに似ている絶対の暗殺カード。
そして、彼が死の直前にテスラ暗殺の真相を明かしたのでした。
Ps. この記事は、ニコラテスラ ニューヨークに舞い降りた魔法使い-3
テスラの死因と暗殺説は証明がありません。あくまでも説に過ぎません。
しかし、人間は死の間際になって、嘘を言う必要はありません。この脚本が完成する頃、真相が解けるかも知れません。
ただ、私に毎晩、電流を流しているのがテスラだと思います。うなされています。真相を世界に伝えてと言ってます。彼の見果てぬ夢だった「世界へフリーエネルギーを贈りたい」。
それも、わたしにかかっているのでしょう。ピラミッドは発電施設だったからです。