ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

貴公子ニコラ・テスラに恋したパリの女優サラ・ベルナール

 

 ユーゴスラビアの片田舎に生まれ、パリエジソン現地法人エジソン・インターナショナルで働き、頭角を表した発明家。セルビア人の青年は、天才発明家として全ニューヨークの人々に迎えられた。最大の見せ場はシカゴ万博会場でのエキシビジョン。


 全ニューヨーカーを痺れさせた❣️
 
 ニューヨークを愛し世界が彼に恋した。

それほど彼の才能は煌めいていたのだ。前人未到の発明者。数奇な運命と重なり世界一の発明王である。その物語を紐解いてみようと思う。
ぜひ、最後までお付き合い下さいね。人生の見方が変わるはずです。

 

 颯爽とマンハッタンを闊歩し、袂を分かち生涯のライバルとなったエジソンとの、交流方式と直流方式が火花を散らす全面対決となる電気戦争。
 エジソンを震え上がらせ交流電流は牛や犬を使って痺れさせ危険性を訴える手段に出た。エジソンは彼を恐れていた。

エジソンは犬、ウマ、牛、象まで公共のエキシビジョンで感電死させた屠殺人と化した。

 

 テスラは交流電流の安全性を広めるため、彼自身が握った大型電球を素手で点灯させたのだ。

 

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テスラに恋を仕掛けたサラ

 

1862年、サラ・ベルナールコンセルヴァトワールを二番目の成績で卒業して、コメディ・フランセーズ(フランス国立劇団)に入団した。

 

先輩とケンカして平手打ちを食らわせてしまったため、4年で追い出されてしまいます。

そこでオデオン座という別の劇団と契約し、演技を続けていきました。

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サラの母親はユダヤ人と言われるが、本人はフランス人として国を愛する気持ちを持っていた。

普仏戦争が起こったときには劇場を野戦病院にし、多くの傷病兵の手当をしていた。

こんなに綺麗な人に手当してもらえた、傷病兵士はひとり残らずサラに魔法をかけられてしまった。恋してしまいベッドから出ようとしないのだった。

 

 

 

一度は入団退団した国立劇団から呼び戻される。

1872年には「リュイ・ブラス」という演目での女王役を演じ、作者のヴィクトル・ユゴーから「黄金の声」と賞される。

これを聞いたコメディ・フランセーズはサラを呼び戻し、一躍、花形女優となっていきます。ユゴーLes Misérablesの作家。

 

聖なる女優
「劇場の女帝」

など、彼女に二つ名が増えていったのも、このあたりから。

 

 

 彼女の自叙伝「ダブル・ネーム」のひとつ目の意味はここにあります。2つ目は、、あなたが探してくださいね。

 

そしてコメディ・フランセーズ1880年に去り、自らの劇団を作り、フランス以外の国でも演劇をするようになる。

イギリスやデンマークアメリカ、ロシアなどアフリカを除く五大陸をまたにかける。

 

 活躍の場は一気に広がり、その合間にエジソンオスカー・ワイルドなどとも知り合っている。

ワイルドとはプライベートでも親しく付き合い、「サロメ」などの戯曲も発注している。

 

 

 この頃、ニコラ・テスラと知り合っている。テスラに恋を仕掛けるー。

 

 

 

 

 

1870年に起きた普仏戦争では、劇場を救護所に変え自ら救護に当たり、戦後は離れ離れになった家族を探して、混乱収まらぬ敵地を突破する旅に出ているサラ。

道中では戦死者の遺体からモノを奪っている男に出会い、見過ごせずに蹴散らしています。その瞬間にやるべきことを見つけたら、過去の悪感情もためらいも迷いも恐怖も封じ込める。

親交のあった作家ジュール・ルナール(『にんじん』)は彼女の性格をこう評しています。

「サラの信条は、明日のことを決して考えないことだ。明日は何が起こるか知れやしない。死ぬことさえあるかもしれない。だから彼女は刻々の時間を有効に使おうとするだけ。

 

 

 

 

 

 

 サラが仕掛けた恋

 

 

ニコラ・テスラが、交流電流の普及のためのエキシビジョンで知名度があがり、社交界でも貴公子ともてはやされはじめた。

 

事実、どうやら連日のニューヨーク公演の晩には、金持ちや名士の奥方や娘さんたちが、ほれぼれとした目をニコラ・テスラに注いで、だれが一番先にニコラ・テスラの心を射止めるかという競争すらあったという。

 

多くの人は、こう思ったというのだ。

 長身でハンサム。哲学者で、音楽の良き理解者で、諸外国語に通じた科学者になどめったに出会えない。

 

 

人々はニューヨークの貴公子と呼んだのだ。

 

 ニコラ・テスラがパリで講演した後、友人のフランス人科学者とカフェで談笑していた。すると、目の前にさっそうとした美人が通りかかった。

 

 その美女がニコラ・テスラの目の前でハンカチを落としていった。しかし、ニコラ・テスラは会話に夢中でまったくその美女に気づかない。

相棒はその女性がだれかすぐにわかって、即座に走り出しハンカチを拾って渡したのだという。

 

その女性とは、サラと呼ばれた大女優だった。

 

 世界に初めて現れた大陸を越える女優。フランス兵士が夢見る恋人、男を鼓舞するマドンナ。

 

サラ・ベルナールは国際劇団を背負う屋台骨で、旅立たざるをえなかった。

 

 

 

 

 

 ニコラ・テスラは不審な死を遂げたのに検視さえされなかった。ナチスの195cmの暗殺者がOSS(元CIA)職員の名を語り面会にやってきたというが、、、。

 枕元で演じられた最終兵器の綱引き

 

 

 

Ps.

  ここを訪ねて来てくださった方々。ありがとうございます。

 

 テスラの様な人間は、キリスト以来です。FBIのテスラファイルを覗きに行ってギョッとしました。

 

 

 ニコラ・テスラの恋愛観を伝える言葉を彼は残しています。

 

 

 

    「愛とは与えるものですね」。

 

 

 

 

 

#ニコラ・テスラ #サラ・ベルナール #スパイ # ナチス #エジソン