ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

世界恐慌1931を超える現実!

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産業革命始まって以来の大恐慌か?

2020/04/02 16:18

最悪という予想が次々と数値を塗り替える。新型コロナウィルスのバンデミック下の経済情勢は1931年の世界恐慌すら、超えて200年ー300年に一度の大恐慌をなる可能性が指摘される。


 産業革命後で初、そして最大。理由は日本が経済に配慮してロックダウンしようが、トヨタが欧州とアジアで生産を一時休止しようが、もはや、世界の市場の灯が消えかかっているからだ。

ロックダウンをいつまでも解除出来ない。経済活動を再開出来ない。企業は持たない。倒産する。失業者はあっという間に戦後最大の30%近くに達する。

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頑張って日本企業は操業している。丸紅は果敢にもインド、ムンバイに投資する。ドンキホーテバンコクに2号店を開業させた。

もはや、国内市場向けだけは頑張ってくれれば、それでもう十分合格。それ以上は部品や材料の供給ルートが細切れに切断されている。

世界に隈なく拡散したコロナウィルス禍の世界で、誰が耐久消費材を買ったりレジャーや旅行に行こうとする? ホテルは全休です。

誰が株や仮想通貨を買う?車や時計など耐久消費材を買う?

日本は世界に引きづられて日に日に身動き取れなくなる。

日本だけが、国会議員や公務員だけは安泰なので感性が鈍い、決定が遅すぎた!


国会議員と官僚は人生初の出来事に対応出来ない!

世界の主要国や東南アジアのタイでも米国でも早急に国民に給付金が手に届くよう懸命に働いている。日本の愚かな官僚は「早くて5月半ば過ぎ」と平然と言い放つ。これに気がつかなった国会議員たち。やる気がないのに、日本人は気づかない。

日本は世界の中に浮いているのに、このままでいられるはずはない。

そう思ってインド、東南アジアのニュースをカバーしても、届けた情報はあまりに、難解過ぎるのか?

必死になれば能力で世界のどの国にも負けないはずなのに、国会議員と官僚が邪魔をする。

今回のバンデミックの最大の問題はサイレントと呼ばれる自覚症状が現れない感染者がいる事。福岡で拡散してしまったが、ルートが突き止めれない。

そうなった以上、部分的にでも

封鎖するしかない。

先手を打たなければ、イタリア、フランスの二の舞になる。

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これはニュースではなく私感です。

ですが最悪を想定して、先に手を打つしかないのは、みなさんも感じているはず。


産業革命後恐慌

1931年の世界恐慌はこれを規模で凌駕した

1873年恐慌(英: Panic of 1873)は、1873年から1879年までヨーロッパと北アメリカで不況を生じさせた金融危機である。さらに長引いた国もあった。例えばイギリスでは「大不況と呼ばれる経済停滞の20年間が始まり、それまで世界経済をリードしてきた国力を弱らせた。当時は「大恐慌」とも呼ばれたが、1930年代初期に世界恐慌が起きた後は、長期不況と呼ばれるようになった。

1873年恐慌とその後の不況には幾つか潜在的な原因があった。それに関して経済史家は相対的な重要性を議論している。普仏戦争(1870年-1871年)の結果、ヨーロッパにおける戦後のインフレ、投機的投資の蔓延(圧倒的に鉄道に対する投資)、巨大な貿易赤字、経済的混乱の波紋があり、1871年のシカゴ大火、1872年のボストン大火など資産の損失があり、その他要因もあって銀行の資本準備高に大きな歪みが生まれ、1873年9月から10月にニューヨーク市の準備高は5,000万ドルから1,700万ドルまで急落した。

金融危機の最初の兆候はオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンでの財政破綻であり、それが1873年までにヨーロッパと北アメリカの大半に広がった。

史実が余り残されていない。


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1931年 世界恐慌

世界恐慌大恐慌(英語:Great Depression)とは、1930年代にアメリカを皮切りに世界的に起こった深刻な経済恐慌のことである。大恐慌の時期は国によって異なり、ほとんどの国では1929年に始まり、1930年代後半まで続いた。それは20世紀の中で最も長く、最も深く、最も広範な不況であった。世界恐慌は、世界経済がいかに激しく衰退するかの例として一般的に使われている。

世界大恐慌は、1929年9月4日頃から始まったアメリカの株価の大暴落から始まり、1929年10月29日の株式市場の暴落(通称ブラックチューズデー)で世界的にニュースになった。1929年から1932年の間に、世界の国内総生産GDP)は推定15%減少した。それに比べて、2008年から2009年にかけての大不況期では世界のGDPは1%未満の減少であった。一部の経済は1930年代半ばまでに回復し始めた。しかし、多くの国では、世界恐慌の悪影響は第二次世界大戦が始まるまで続いた。

世界恐慌は、豊かな国と貧しい国の両方に壊滅的な影響を与えた。個人所得、税収、利益、物価は下落し、国際貿易は50%以上減少した。米国の失業率は23%に上昇し、一部の国では33%にまで上昇した。

世界中の都市、特に重工業に依存している都市は大きな打撃を受けた。多くの国で建設が事実上停止された。農村地域や農村地域は、農作物の価格が約65%下落したために苦しんだ。鉱業や伐採などの第一次産業に依存している地域が最も被害を受けたのであった。

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わたしはインドとアメリカを報じたのは、コレが起こっているからでした。

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