決してiPhone やwhachだけに頼ってはいけない!機械式時計も必要です。コンピュータ制御の自動運転だけの車だけでなく、ガソリン車を残さないと生きて行けない日が来ます
ある事件を調査していた時の話です。
かなり古い時代のニューヨークのマンハッタンでの話。
世紀の発明家、マッドサイエンティストなど世界に最も貢献したにも関わらず、らしからぬ異名が残っています。
彼が発明した特許は140を超える。エジソンが発明した直流より遥かに効率がいい交流を発見して、それを世界に普及させたー
彼は86才でニューヨーカーホテルの一室で亡くなっていた
未来からやって来た発明家―二コラ・テスラ
ツングースカ大爆発は、二コラテスラの、長距離エネルギー転送の実験によって、引き起こされた?
エックス線の、アイディアも、テスラ。
人工地震。
エーテルで動く自動車。
これ以外にも、物質伝送機、テレポートも有名だと思う。
ステレスの、実験中に、 軍艦エルドリッチ号が、テレポートしてしまった事件、「フィラデルフィア計画」は、何度か、映画になった。
テスラはツングースカ大爆発の前にニューヨークの図書館で中央ロシアの地形を何度も調べていた記録が図書館に残されていると言う話は有名だ。
彼は1943年11月3日、マンハッタンのニューヨーカーホテルの一室で86歳の生涯を終えた。心臓発作だった。実際は80代でのタクシーの事故の後遺症だった様だ。
その直後、ホテルに政府機関の人間が訪れ、テスラがまとめた資料ノート類を持ち去った。(調査では甥にトランク類10数個の保管を任せていた)。FBIは以降、この記録は非公開でその内容は明らかにされていなかったが、クロアチア政府に返還されたそうです。
そのクロアチア政府が一部を公開した。
亡くなったのは
マンハッタンの≪ニューヨーカー・ホテル≫でした。日本語の記事の多くと異なり、彼は死の間際までマンハッタンで最上級に近いHotelを借りていたのです。間取り図から彼はホテルが開業した直後から33階の2部屋(連番)を貸切り以後10年間定住していました。これには彼らしいマジックがありました😭
1888年、ジョージ・ウェスティングハウスはニコラ・テスラから多相交流システムと誘導モーターの特許を取得していた。
ロシア ツングースカ
1908年6月30日
シベリア中央部の上空に轟音とともに火の玉が飛んできた。
その形については目撃者の中には丸かったとする者、
球状だったという声、
いやシリンダー状だったとするものと意見が分かれる。
色は赤、黄色または白だった。
現地時間で7時14分、
それはシベリアのポドカーメンナヤ・ツングースカ川付近で
炸裂した。
爆発力はエネルギー量を
40-50メガトンに達したとされている。
これは広島に投下された原爆を2000倍上回る爆発力だ。
当時研究者らはタイガに落ちたのは
隕石であろうと断定したものの、
これといった調査も行なわれないままだった。
そういった一方でこの事件には
セルビア系米国人発明家の
ニコラ・テスラが主犯だと言う憶測も存在している。
ところがテスラの役割は何とも不可解だ。
1899年春、
コロラド州のリゾート地スプリングスで
テスラは雷雨を研究する小さなラボをたちあげる。
この目的でテスラは電磁波を逐電することのできる装置を作る。
電磁波は送電機から広い範囲にとび、
その後出力がアップされて
インド洋のアムステルダム島とサン・ポール島間ほどの距離に通電できるようになった。
テスラはさらに出力の高い装置を使い、
実験を続けることにした。
1902年
ニューヨーク州のロングアイランド島に購入された土地には、テスラ自身のプロジェクトで先頭に銅の半球を頂いた高さ47メートルの塔Wardenclyffeが建てられた。
この装置を使ってテスラはエネルギーを蓄積し、より長距離に伝播しようと試みた。
ところが、テスラの仕事に財政支援をしてきた。
1903年
産業家ジョン・モーガンが契約を破棄する。
このモーガンに続いて、他の産業家らも
テスラへの支援を退けてしまった。この結果、
1905年
テスラは雇ってきた職員らを解雇し、
仕事を中断せざるを得なくなる。
ところがテスラの設置した装置は
それからも長い間ラボに残り続けた。
ウォーデンクリフ塔(Wardenclyffe)
テスラは実験を続ける希望を失わなかったのだ。
財政支援を得ようとテスラは様々な機関に書簡を送ったなかで、
今までにない破壊力を持った兵器を開発する能力を有していること、回線を必要としない、そのエネルギー装置を使えば、
地球のいかなる場所も生物の生息に適さない土地へと変貌することを証明し続けた。
テスラはさらに、有名な旅行かロベルト・ピリが2008年に開始した北極探検のルートを照らすこともできると豪語したのだ。
ここで話をツングース隕石に戻そう。
その科学的研究は1920年代にようやく開始された。
27-39年ツングース隕石が落ちたと思われる地帯では地理学者レオニード・クリクをトップとした探索隊が墜落事件現場に入っていた。
ところが隕石の痕跡は影も形もなく、
隕石がぶつかったときに出来るとされる
クレーターも見つからない。
いや、その後、見つかった。それはバタフライ型で二重の楕円が重なった奇妙なグレーターである。
その代わりに驚くべき事実があがった。
爆発の中心には数本の樹木があったのだが、
それが幹はそのままで、枝が全て焼け落ちてしまったのだ。
一連の事実から、天空からの落下物が
空中で爆発したことがうかがえる。
地元のハンターらはクリク探検隊に、
水で顔を洗うと焼けつくような痛みを感じ、
光る石を見たことを語った。
これ以外にも何かが焼けついてできた、
直径1ミリほどの細かい球状のものが無数に見つかっている。
後日こうした球状のものは
米国の原爆が投下された広島、長崎でも見つかっている。
60年代、この事実から、
シベリアの上空で核爆発が起こったのではないかとする説が唱えられた。
08年は原子爆弾はなく、爆発の原因は流星の起こしたものと言われていた。
しかし、現在、これとは別の、同様に摩訶不思議な説が浮上し始めている。
専門家らはツングースの隕石がもたらした
奇妙な現象に注意を向けた。
大西洋からシベリア中央部にかけて数日間にわたって
空と雲が強烈な明るさを放っていたことだ。
目撃者らは1908年6月30日の午前7時後、
爆心地から200-300キロの地点では奇妙な、
死のような静けさが広がっていたと語っている。
鳥も鳴かず、葉の擦れ合う音も何も聞こえなかったという。
このほかにも明るい光がさす朝が急に暗くなり、
葉っぱも草も、すべてが黄色になり、
その後オレンジ色、赤、赤紫になった。
昼ごろになると当たりは真っ暗になり、
ポドカーメンナヤ・ツングースカの方向に
あたかも銀色の壁のようなものが見えた。
爆発の後、磁気嵐が始まり、5時間ほど続いた。
この異常な現象から、
この事態はニコラ・テスラの仕業だったのだろう
という予測が生まれたのだが、
それを物語る説は少なくとも2つある。
一つの説では、テスラは自分の作った装置の破壊力を見せつけようと決意したとされている。
テスラは性悪な人間ではなかったので、
及ぼす害は最小限度に抑えたいと考えていた。
このためエネルギー爆発を起こす地帯は
人の住まない土地にしようと最初は北極圏内を想定していた。
爆発の衝撃波と斜めに高速移動した衝撃波とが合成された衝撃波によって、爆発の跡は羽を広げた蝶のような形をしている。そのため爆発跡の形はツングースカ・バタフライと呼ばれている。また落下地点の周辺で、樹木や昆虫の生育に異常が見られた。具体的には、成長の停止、逆に異常な速度の成長、新種の出現などである。
爆心地付近に、スースロフの漏斗と名づけられた凹地がある。レオニード・クーリックは衝突クレーターと考え、I.M.スースロフにちなんで名づけたが、実際は氷雪地形の一種のサーモカルストである。
確定出来ない謎?
クレーター(隕石孔)が形成されず、隕石の残片などが長く発見されなかったため、過去には下記のような説が唱えられた。
彗星・小惑星爆発説
彼は晩年も金を持っていたし、最後まで、ダンディーでした。
1943年11月3日、86才でなくなったのは
マンハッタンの≪ニューヨーカー・ホテル≫でした。
最後に2つのエピソードで締めくくりたいと思います。
電気自動車テスラ社のCEOイーロン・マスク氏はニコラ・テスラを尊敬して社名と車に彼の名を冠しました。Google の創業者の兄弟も彼を見習うほど敬愛していた。
ノーベル賞賞を二度も授与される機会を逃しています。一度目は辞退でした。2度目は彼の特許を侵害して成功した男に授与されています。それは彼の死後の事です。
彼の言葉は非常に重みがある示唆が記録されています。
「わたしの頭は受信機に過ぎない。宇宙の中核に情報基盤があり、通信出来る。私自身はその様な中核施設の構造と存在場所は知らない」。
在クロアチアのテスラ記念博物館
父親(ミルーチン)はセルビア正教会の司祭で詩人。母親(ドゥカ)は調理器具類の発明をしていた。
テスラの兄弟は、7歳年上の兄(夭逝)、姉2人、妹1人がいました。兄は大変、聡明だったとテスラは記憶している。
父親は、テスラが司祭になることを望んでいたが、テスラは子供の頃から科学者になることを切望していたそうです。テスラの母親の家系は、発明家の血筋だと言われています。テスラが発明家になったのは遺伝だった。
そういう家系を選んで来たんですね。コレラで死にそうになった息子を見て、父親はニコラの夢を叶え「お前は技術者になれ❗️」と生きる希望を与えました😭
長年のホテル暮らしの費用は?
ウィンダムニューヨーカーの頃。
発明家ジョージ・ウェスティングハウスが起こしたウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーという会社が、ホテルの賃料+125ドルをテスラにコンサルタント料として、毎月支払っていた。
困窮したテスラはソ連とある技術を提供する契約を結んでいた。そのペーパーのトップページがクロアチアにあった!
彼の技術は地球に電磁波を走らせる事で、付近一帯に電気をワイヤレスで送電出来た。
2022年に科学者たちが実際に検証したら、出来たのだ。
日本の防衛省
レールガンはゲームチェンジャー?
防衛省は2022年度の予算案にレールガン関連費用として65億円を計上した。連射や飛しょう時の安定性といった要素技術を確立し、早期実用化にこぎつける。防衛省の外局である防衛装備庁は、1990年に口径16mmの小型レールガンの基礎研究を開始。その後口径40mmの中型レールガンを試作して、弾丸の高初速化や砲身の長寿命化の研究を実施してきた。
レールガンの主な用途は極超音速〔マッハ5(約1702m/秒)以上〕の巡航ミサイルの防衛だ。極超音速巡航ミサイル防衛では「迎撃側も極超音速で会合点に向かって飛しょうするのが重要」(防衛装備庁)で、レールガンは高速化のポテンシャルが極めて高いため、適性が高いと判断したようだ。
実際、同庁の試作レールガンでは2230m/秒(約マッハ6.6)の初速で重量約300gの弾丸を発射できるという。同庁は搭載プラットフォームを公開していないが、用途から考えれば自衛隊駐屯地やイージス艦に搭載する可能性が高い。