ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

人類絶滅境界線上のARIA  ビン首の謎 第2幕

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人類がたった150人しか脱出できなかった謎

われわれホモサピエンスがアフリカを離れたのはおおよそ6500万年前。それまで、脱出に成功したグループはいたが、その子孫たちは現存しない。現在のわれわれ人類の遺伝子を調べたところ、行き着いた回答は、アフリカから脱出に成功したのは、ただひとつのグループに行き着いたのだ。その数150人あまり。

 

誰がどうやって、どのルートをたどったのかは正確にはわからない。しかし、われわれ人類はすべて彼らの子孫なのだ。

当時、アフリカを脱出するルートは2つ存在した。ひとつはナイルに沿って北のエジプトをめざす。もうひとつはアラビア半島へ渡る最短ルート。

 

成功したのは、アラビア半島へ渡った150人のグループ。ただ、1度だけ。それ以外のグループは子孫を残せなかった。つまり、失敗した。

だが、それよりずっと昔に成功したホモサピエンスの仲間がいた。ネアンデルタール人やであるハイデルベルゲンシスらだ。彼らはアラビア半島には渡らず、エジプトから北ヨーロッパをめざした。彼らの人骨の出土地からわかった。

 

ではなぜ、われわれホモサピエンスは、アフリカを脱出しなければならなかったのか?

今となっては推論でしかないが、逃げなければ生き残れない脅威が迫っていた。

 

 

OUT of AFRICA

ルートを探る。

 

この話を進めると、どんなルートをたどったのかがわかる。それは想像を絶する苦難の道だった。

 

エチオピアの湖がある土地からアラビア半島へ行く道はない。砂漠を越えるのだ。砂漠といっても砂ではなく不毛の雨が降らない水のない世界。

距離にして650キロ。いくら水を担いでいっても、足りない。

ラクダのような生き物の力を借りなければ、水と食べ物は運べなかったはず。一日最大で50キロ歩ければ相当早い方だろう。普通なら20日はかかる。

 

人間だけで歩けるだろうか? 

 

 

 

実は今でもこのアフリカ脱出は続いている。その現実を知るとみな驚く。エチオピアソマリアから単独、あるいは家族、グループで内戦や襲撃を逃れ、そして仕事を求めて、今も人々はこのルートを歩いていた。

 

そして、その多くは途中で行き倒れている。水が完全に切れたのか、溶岩流が固まった岩のうえで横たわる死体。男と女の死体。

それも2,3人ではない。10体はある。まだ、男女の区別がつき、20-30才代だろう。手や脚の肉は捥がれているが形をとどめている。

そして、墓のようなものもたくさんある。

 

そこは海まであと少し、紅海が見える6キロ手前で、ゴールを前に死んだ人々が横たわっていた。

 

この横断ルートは、エチオピアからジプチまでの650キロ。貧しいアフリカからの難民は、毎年10万人がこのルートをたどってアラビア半島へ渡ろうとする。

だが、ジブチに無事たどりつけたとしても、そこには仕事はない。さらに彼らは船に乗って紅海を遡り、オマーンをめざすのだ。

6500万年前と現在の難民が見る景色はどれほど変わったのだろうか?

そう考えずにはいられない。

エチオピアでは、農場で働いても年に2000円ほどしか賃金がもらえない。

 

 

 

  ビン首はなぜ

現在、一般的に信じられているのは、アフリカで10万年ー6500万年前の人口は1万人に過ぎなかったという。

この人口衰退の人口抑制の状態を学術用語で「ビン首」と呼ぶ。ある外的圧力で、ホモサピエンスは増えることができなかった。

恐らく10万年前ごろは成人10万人程度(正確ではない)ではなかったかとみられている。

 

何が原因だったのか?

その現場をわたしは見に行ったのでレポートを提出したら、学会から受け取り拒否のハンコを押されて送り返されてきた。

 

そのころのアフリカは、いわば地球に住む人類のすべてだった。気候変動が激しく、大陸は乾燥し、サハラ砂漠はアフリカ大陸を2分するほど広大な面積を獲得するに至った。当然、カラハリ砂漠も同じだ。これにより、人類は地中海へ進むことができなくなった。だが、現在の地形から考えるとナイル砂漠をたどって北上するのが一番、成功する確率が高いと考えがちだが、そのルートをとれなかった理由があるようだ。

 

 

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 このビン首の正体は、厳しい時代が1度や2度ではなかったことを教えてくれる。激しい気候変動にがっちりつかまれて人類は絶滅の境界線上を彷徨っていた。それもかなり危うい足取りで。

ひとつ間違えれば集団自滅である。

 

地球はそのこと、気候変動が激しく、惑星の自動温度調整機能を失っていた。

それに加え7万年前(正確ではない)にスマトラ島のトバ火山が、過去最大の爆発を起こした。その威力はセントへレンズ火山の4000倍といわれる。1000キロ立方メートルの粉塵を大気中に発散し、地球は冬になった。夏の気温を12度も押し下げるほどの変動だ。

 

問題はこれにより、熱帯雨林は縮小し、砂漠は大陸を2分するほど拡大した。イリノイ大学のスタンリー・アンブローズ教授は指摘する。

 

「火山噴火物が地球全体を覆ったとき、人類はわずかに水が涌くところで、絶滅に瀕しながら、永い間うずくまっていた」のだと。

 

それがホモサピエンスのDNAが描く「ビン首」が教えてくれたシナリオである。

 

そして、もうひとつ。

これはスマトラ島の火山噴火だけではとうてい説明しきれないほどの地球環境の変動があったことを伝えている。わたしは巨大隕石の海上衝突が原因だと結論づけたのだ。それが理由では論文は送り返されたのだ。orz...

 

 

 

 

 

 

人類絶滅境界線上のアリア  6500年前 人類がアフリカ大陸を離れた本当の理由

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素数ノ謎 解明への大航海: 宇宙の暗号 (NGO japan cyber library)

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次元を旅した男  次元の探検家 理論物理学者ジョエルと仲間の冒険

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地球の外周を測量 王立学術測量隊の冒険ドキュメンタリー

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天才数学者ガウスと時間の商人たち: 時間の正体に迫る

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ミャンマーで何が起きているのか!

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ミャンマー アジア最後の桃源郷より

ほんとうのことを話したい、、

 

 ヤンゴンにさまざまな人種が集まってきた。イギリスは伝統的なカレッジの進出を決めた。3,000万米ドル(約33億円)以上を投じて最大800人の生徒が学べる施設を整備。最終的に生徒数を1,400人に増やす。当初は外国人の生徒が多いと見込みだが、将来はミャンマー人の比率を4割に引き上げる考え。だが、本当は日本こそ学校が建設してあげないといけない。日本のJICAに何としても予算をとってほしい。

 

 日本は大手企業が進出したことには触れたが、同時にジャパンマネーをもった恥かしい文化も広まってしまった。確かに1晩で月給分を稼げることを知ったミャンマー娘は後には戻れない。

 

 問題は未成年がこうした世界へ入り込んでいること。それを救うことは容易ではない。次の問題は働き口はあるにはあるが、信じられないほどの競争率で、学歴のない彼女たちは、また、舞い戻ってくるのだ。

 だが、この国のひとは日本人を信じている。日本人とは礼儀正しいだけではない。大英帝国を敵にまわして、恐ろしいほどの強さをもちながら、思いやりもあった軍人の話も残っている。

マンダレー街道を敗走しながら日本に帰国できたのは30万人のうち10万人に満たない。鳥取121部隊に所属した三森政治さんがその記録を残した。彼の長兄、次兄も戦死した。彼らが苦渋の戦闘のなかを生きて帰り、お祖父ちゃんやひいお祖父ちゃんになったから、今の日本がある。

日本が戦火を切った第2次世界大戦、第1次世界大戦の前の世界で本当は何が起こっていたのか?

これを調べているひとは多い。

そしてわかったことは欧米列強という白人至上世界が後進国(アフリア、アジア)のほとんど、まったくすべての国を植民地化していたこと。アジアの例外はタイだけである。

 

しかし、そのタイとてバンコク郊外の「米軍の保養地パタヤ」はまるで植民地のように占有されている。見てないひとは「タイへ移住しよう2017」をみてください。

インド、ネパール、ビルマ(現ミャンマー)、スリランカはイギリスの圧制下で、農場奴隷生活を何代にも渡り、まるで世襲のように隷属されていた。次は日本が植民地にされる番だった。ベトナムはどうなった?

事実、韓国はその後、朝鮮戦争に突入し、米ソに引き裂かれて戦った。太平洋戦争開戦の口火を切った日本が全責任を負っただけで、真実は白人の植民地政策にアジアで初めて、真っ向から戦いを挑み、欧米列強の植民地政策にクサビを打ち込んだ。

日本は広島、長崎に原爆を投下され降伏、敗戦時に国土を4つに分割され、大阪と東京はベルリンのように首都分割し、まるでエルサレムのように統治される計画が迫っていた。

 

その後、白人優先思想は植民地支配を少しづつ見直し、平等主義へ舵を切ったのは、この対日本との戦争による。

それがアジアのすべての有色人種を白人支配の暗澹たる闇から抜け出すきっかけをつくったのだ。

決して戦争を肯定するのではなく、アメリカによって日本の歴史から天皇制、学校教育、歴史まですべてを歪め、洗脳する思想教育が行われたことを日本人は忘れ去ろうとしている。

それを教えてくれたのが、アジアのひとたち。日本を悪し様にいう中国と韓国を除く、すべてのアジアの国は日本のことを嫌っていない。いや、むしろ親しみをもって、尊敬してくれる。

その真実は東ヨーロッパのポーランドウクライナ、トルコ、エストニアラトビアリトアニアなどバルト3国へとまるで燎原の炎のように広がっている。炎はアフリカのナイジェリアやケニアまで飛び火。

あの毛沢東ですら日本の戦争でわれわれは独立ができたと語っていたのだ。台湾のひとはずっと親日国であり続けてくれる。日本は史実を見直されなければならない。われわれは日本人の誇りを取り戻そう。

 

アメリカの実質権力者300人委員会フリーメイソンなど秘密結社が参画)の資料によると、日本に最初の一発を撃たせるにはどうすればいいか、という戦争へ引きずり込む作戦が残されている。パールハーバーの攻撃日もわかっていた。わかっていながらハワイ艦隊へ伝えなかったのは、アメリカ国民を戦争へ煽動するためだったのだ。それまでアメリカ国民の80%が戦争を反対していた。

 

 

われわれは今、アジアの規範になれる経済情勢にある。

 

わたしがこのアジアシリーズで、ロンリープラネットや歩き方では行けない世界へ、と書いているのはアジアの国々を見ることで日本とは何かをはっきりと認識することができる旅へ誘うつもりでした。タイ、ベトナム編に次ぎ、このミャンマー編でやっと、少しだけそれが果たせそうです。

 

 

18才よりずっと年少の子供をみつけたら、迷わずSAVE THE CHILDRENと言う魔法の呪文を思いだしてください。ネットで調べればバンコクホーチミンなどの世界を代表するNGOにつながります。

 

 

アジアの先進国、中国、韓国のひとで彼らを救おうとするひとはいません。日本人ができなくていったい誰ができるのでしょう。われわれ日本人が最期の砦です。

そして、最後にこの本を買ってくださったひとに。この本の売り上げはすべて、アジアの貧しい子どもたちの給食支援活動や先にみたミャンマーの小学校など子どもの学習支援に使われます。機会がありましたら、このアジアの移住シリーズのほかの「彼女たちの国境 北朝鮮アセンディング」や数学シリーズも読んでいただければ嬉しいです。ありがとうございました。

 

 

 

目的

経済専門のジャーナリストです。アジアの貧しい子供たちを救済するNGO JAPAN CYBER LIBRARY を主宰。
夢は国連より年間予算が大きく影響力をもつNGO PLAN のアジア版になることです。
PLAN はスペイン戦争後の1937年にスペインの戦災孤児を救済するために設立された組織。インドシナは戦争から立ち上がろうとしていますが、未だに子供たちは児童労働にかりだされています。
日本サイバー図書館の著作の売り上げはすべてこの救済活動に充てます。
具体的にはガールズ・スキル・デベロップメント・プログラム(職業訓練プログラム)、学校の建物を建設するのではなく、先生を育てるのが目的です。
ウェッブ、ビデオ、製品制作、プロモーション、ホテルのフロントなど観光産業、そして、語学などのスキルを地元で広げる現地の先生を育ててゆく計画です。
ぜひ、ご支援ください。あなたの力がわれわれを後押ししてくれます。
われわれはPLAN ではありません。日本のEU、アジアの若いジャーナリスト集団です。          

      

 

 

 

 

 

 

 

彼女たちの国境 飢餓性奴隷自由 原題 北朝鮮アセンディング (Japan Cyber Library)

彼女たちの国境 飢餓性奴隷自由 原題 北朝鮮アセンディング (Japan Cyber Library)

 

 


 

次元を旅した男  次元の探検家 理論物理学者ジョエルと仲間の冒険

次元を旅した男  次元の探検家 理論物理学者ジョエルと仲間の冒険

 

プノンペン 愛と身請けの境界

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 カンボジアにUNTAC(カンボジア暫定統治機構)隊が平和維持活動のため、長期駐留することになり、ベトナムから大量に若い娘が連れて来られた。カネが稼げるという噂を聞きつけ自分からやってきた娘もおおぜいいた。

ベトナム社会主義国で、監視社会である。公安警察ににらまれると置屋は商売はできない。そのため、売られれた娘は公安、バイタク(運転手)、置屋に心づけを払わなけてば、お客をとれない。それに置屋の女将への借金の返済などで最初から半分のカネを公安など3方にとられ、いったいなんで身体を売っているのかわからない。

ある日、はっと気づいたベトナム娘は、お客のお金を全部ほしいと思い、

「売ったのはわたしの身体。だから、当然よ」といって国境を越えてカンボジアへ渡ったのである。

 1990年末から2000年代のはじめまで、スワイパーやNAVYなどプノンペン均衡にあった売春宿の多くはベトナム娘ばかりだったのだ。

 

 

 

 カンボジア人をクメールという。ベトナム人ラオス人とは明らかに顔が違う。ベトナム人ラオス人の肌が蜂蜜色なのに対してやや褐色を帯びている。彼らのルーツには様々な説があるが、北京の某国立大学である書物からその事実がわかったのだ。

西暦1405年にティモールが死去。中国の永楽帝が中国を支配し、その後、世界へ永楽帝の大艦隊を送り出している。その史実のなかに、1382年、雲南、いまでいうベトナムラオス、中国の国境が接するところで、チベット勢力と永楽帝の軍が最後の決戦が行われ、永楽帝が勝利した。

 チベット人の最後の砦は雲南昆明にあり、つかまった少年たちは永楽帝のもとに送られ、男根と玉を切り落とされ宦官にされたのである。

そのなかで頭角を表わしたのが鄭和である。

 

この逃げたチベット族のひとたちがクメールにすりかわったのではないかというのがわたしの説だ。そして、ベトナム人は中国南部に住んでいたもともと中国の民。キン族と呼ばれるが、彼らも同じように永楽帝の軍に攻められ、峠を南へ越えて今の世界地図の版図に収まったのではないか、、、。

 

 

 

 話は現代へ。

1998年ごろのプノンペンはホテルやゲストハウスが今ほど、開業しておらす、日本人が集まるキャピトル1-2や、オークラなどに情報が集まっていた。そこを舞台に繰り広げられたのが、日本人青年によるbベトナム娘やクメール娘の身請けである。

当時、円が強く、身請け額は500ドル余り。

わずか5万円で彼女を幸せにできると信じた日本人は何人もいたのだ。

23才、26才から30才、40-50才と上に行くほど純粋さは失われ、単に囲うだけで、1人で10人以上を娶った男もいる。そう、玉本氏である。

しかし、青年の場合は同情が愛情に変るまでに時間はかからい。いや、それ以前に日本でほとんど恋愛経験がなかった彼らは、14-15才のベトナム娘を不憫と思い、初めて会ってから2-3日以内にぽんとカネを払い、嫁にするつもりで身請けしてしまった。

だが、問題は彼らもほとんど、ベトナム語は話せないし、彼女たちは英語が話せない。ほとんど意思の疎通なして、日本の男たちは、相手の思いなど顧みない、ジャパンマネーによる禁じ手を炸裂させたのであった。もちろん、まわりの大人たちはあまりに出会って期間が短いので引きとめる。

 

それには一切、聴く耳をもたず、カネを握り締めて、置屋をめざした。

「きたな。1500ドルだ」と置屋のお婆。

「えっ、500ドルじゃないの?」

「いいや、本当に請け出すには1500ドル払いな!」

恋に舞い上がっていると足許を見透かさ、置屋のおばばは、法外な値段を言い放った。

だが、すでに身請けを決めた時点で、勝負は決まっていた。日本で貯めたカネは70万円以上あったから、青年は15万円を支払ったのだった。

彼女の名は、マイ。14才。痩せてはいるが、これからもっと美人になることは、誰が見ても明らかだった。身体にバネがあり姿が美しい。

 

どうやら、青年は2度、彼女を抱いただけで、決断したのだ。

それほど、彼を狂わせる何かが彼女にあったのだろう。

 

不思議である。人間は意志が通じなくても恋に落ちるものなのだ。これを恋と言えるかが問題だが、未婚の青年ならそう思い込めなくもない。

「いやー、違いますよ。ただのロリコンの暴走です!」。

40代の日本人は笑いながら教えてくれる。

「いいですか、相手のベトッ娘は、男が誰であれ、例え60過ぎでも身請けされたら、着いて行かなければならない。それです。しばらく、男と一緒にいたら、その男の甲斐性が見えてくる。それで、あんちゃんらは、娘に逃げられるんですね」。

「何がいけなかったんでしょう?」

 

「娘はおとこに惚れていなかった。幻滅させられ、またしても逃げるわけですよ」。

 

 

 

 

 話しは1990年ごろバンコクにあった日本人宿ジュライホテル。実にいかがわしいホテルだった。これが閉館したため、そこにいた怪しい面々が、その先にあるもっと怪しいアジアへと流れていったのだ。orz..

 

それはまるで、雷鳴一発でどしゃぶりになる前のカンボジア人たちのように奇声をあげてわれ先にと、、、。

 

 

 

ある旅人たちはタイ最北部、ミャンマー国境に接するメーサイ。

もうひとグループはパタヤチェンマイ

そして、もっとも遠くへ流れ着いたのが隣国カンプチアの首都プノンペンである。

正しく言えば、三方ではなく四方、五方向ぐらいに散りじりに分かれたらしい。

 

「あの、これでいいんでしょう?」

「うん、それでこそカンプチアン・ライターだよ!」。

 

前回の「美しきクメール娘」と「タイに移住しよう」(既刊)を読んでくれた知人が、なぜ、こんな狂おしい日本人たちがそこにいるのかをくわしくレクチャーしてくれた。

 

「うれしいなぁ」

「読んでくれたんだから、敬意を払ってちゃんと聞きましょうよ!」

「でもな! あそこ」

見るとまともなのは上着だけで、たぶん、途中でカネが尽きたといしかいいようがない格好で、ワタミに現れた澤田さん(44才)。下は短パン、ゴムゾーリ。

あたまもきっと散髪の途中でカネばらいが悪くて、やめたみたいな髪型をしている。

とてもまともなひとには見えない。

 

この澤田さんの話をベースに取材を進めて、はたして大丈夫だろうか? 編集スタッフは疑心暗鬼にかられながらも、現地で肉付けして行くことに。

なぜ、今のカンボジアがこうなっているのか? 

どうして、首都なのに狂おしいまでに愚かしいひとびとが集まり、福田マリ、いや、吹き溜まりのように性格の悪い街になったのかを紐解いて行きたい。

 

 

 

 

 

もう少しジュライホテルについて。

バンコクの中華街ヤワラー東に7月22日ロータリーがある。当時から奇妙な外国人が集まる場所で、プッシャー、売春婦などがたむろする危ないスポット。ロータリー真ん中に公園があり、その正面にジュライホテルが建っていた。

観光以外の目的で集まる外国人や娼婦が放つすえたホテルの住人の多くはなんとわれらが同胞の日本人。

このホテルは殺人があったり、有り金50万円すべてを従業員に盗まれたり、さらにドラッグで刑務所に送られたりと、世も末のようなとんでもない唐人窟、泥棒宿だった。はっきり言えば1890年ごろウラジオストック

にあったアナーキーな唐人窟の方がまし。

しかし、アジアのもっと滑稽な宿から帰ってきたバッグパッカーやファッキンパカー、ジャンキーにとってそれはそれは居心地のいい赤十字救済施設のように写ったらしい。

 

それではジュライから旅立った、各分隊を追って、その棲息者がうろ覚えの現実をドキュメンタリーにまとめて「世にも怪奇な物語」をつむぎだそうと思う。

 

 

 

 

第1隊 プノンペン

500ドルで永遠の幸せが買える?

17才を身請け

 

 

1998年ごろ

 

幻の国に行くこと3度目にして、置屋から女の子を身請けしました

わかる人にはわかるスワイパー十字路にある喫茶店から斜め前にある置屋

そこで買った女の子をホテルにつれて帰るなり「500ドルくれたらずっと 一緒にいられる」と耳元でことあるごとにささやくのです。貧乏旅行者にとって 500ドルは大金、無視していました。あきらめたのか数日後には言わなくなりました。

しかし「たった5万円ちょっとのためにこの子は売られてきたのか」と悲しくなり ました。

 

 

 

 

 米朝戦争1 日中ロに大量の難民が押し寄せる可能性

 


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北朝鮮核兵器を使用しない戦争シナリオが現実味を

 

北朝鮮と米国との緊張が臨界点に達し、軍事衝突が起きたとき、何が起きるのか。在韓米軍で対北朝鮮軍事演習のシナリオ策定に携わったチェタン・ペダッダ退役陸軍大尉は米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」(電子版)への寄稿で、「北朝鮮は間違いなく敗北するが、朝鮮半島の大半が壊滅する」と警告する。

 

 

数時間で死者数万人

 想定では金正恩体制は国際社会の制裁で危機に陥り、体制の維持が困難になったと判断した場合、「韓国への奇襲攻撃」で活路を見いだそうとする。

ただ、北朝鮮軍は弾薬や食糧不足などから戦闘能力は「数日間」しか持続せず、一気に決着をつけようと、最初の数時間で南北非武装地帯周辺や在韓米軍駐屯地、日本の海空防衛施設にミサイルで集中攻撃をかけてくる。

 

 北朝鮮は約2500~3千立方トンのサリンやVXガスなどの化学兵器炭疽(たんそ)菌などの生物兵器保有し、これらをミサイルに搭載して米韓の空軍基地や補給ルートに撃ち込み、米韓の作戦遂行や兵力の移動能力の減衰を図る。

 同時に北朝鮮のサイバー部隊121局が米韓の銀行や韓国の送電施設にサイバー攻撃を展開。停電や通信遮断による社会混乱への対処で米韓軍や警察が人員を割かれる状況となる。

 北朝鮮による攻撃開始から数時間で死者は数万人に達し、ソウルの大半が灰燼(かいじん)に帰する。数百万人が国内避難民と化すとみられる。

 

 

日中ロに大量の難民

 在韓米軍は初日で数百~数千人が犠牲になるが反撃。

米軍は日本や豪州、米本土から増援部隊を数日以内に送り込む一方、航空機や巡航ミサイルで非武装地帯周辺の砲兵部隊や北朝鮮全土の空海軍基地を攻撃。数時間後、北朝鮮の陸海空軍は事実上壊滅する。

 しかし、北朝鮮は沖合の潜水艦から特殊部隊を韓国沿岸に上陸させ、非武装地帯に掘られた地下トンネルを通じて部隊を韓国領内に侵入させる。トンネルは1時間に8千人を移動させることが可能とされる。

 

 韓国潜伏の北朝鮮工作員が韓国政府要人暗殺やサボタージュなどのゲリラ戦術も展開。最後は米韓軍に撃退され金正恩体制も崩壊するが、死者は数十万人に達することが確実視される。

 

 中国に難民が流入し、日米は南北から大量の受け入れを強いられる。朝鮮半島の復興には数十年かかる。

 

 これは北朝鮮核兵器使用に踏み切らない場合のシナリオで、日本や米西海岸に核弾頭搭載の弾道ミサイルを撃ち込んだ場合、被害は桁違いに増大する。

 

 

これはあくまでも核を使用しなかった場合のシナリオで、その先にさらに大きな危機がある。それまでのミサイル基地と核を潰せるかがポイントになる。

 

 連休中にもし、このサイトにたどりついたひとは、米軍基地に近い場合は離れて下さい。ご無事を。

 

彼女たちの国境 飢餓性奴隷自由 原題 北朝鮮アセンディング (Japan Cyber Library)

彼女たちの国境 飢餓性奴隷自由 原題 北朝鮮アセンディング (Japan Cyber Library)

 

 

史上初 次元を旅した男 頭脳だけで旅はできる!

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次元の探検家 理論物理学者ジョエルとその仲間たち

史上初 次元を旅した男

素粒子の世界に『時間次元』が生まれた瞬間を見届ける! 素数ノ謎第2幕 ドキュメンタリー 

この世界=11次元Dimensions

 

 

 

素数ノ謎を追って、原子核のエネルギーの間隔と素数のゼロを求める数式が同じ構造であるという発見から、わたしは、ミクロの素粒子の世界を探ることにした。物質の最小単位素粒子のほんとうの形を探る旅は、なぜ、この世が4次元なのかという答えを教えてくれた。

 しかし、理論物理学の示す数式はこの世界は10-11次元であるという。次元を世界で初めて探求した男たちの信念の物語りをこの2幕に立てた。わたしは原子核の振動数が素数であることを発見。この次元を探す旅はなんと、人間の頭にできあがった既成概念との闘いそのものだった。

Based on true story

D=11のDはDimentions次元の頭文字、つまり11次元である。一般性相対性理論素粒子の理論を統合したマスター理論はなんと驚愕の真実をわれわれに突きつけた。この物語はドキュメンタリー。

この本には世界で初めてのものがいくつも登場します。

・数論の世界を地図にした複素平面に、3乗するとマイナスになる複素立体図。

ウランでなぜ、飛び飛びのエネルギーの値が変化するのか、理論の裏づけで実際に突破をはかる。

・縦横高さの3次元空間に斜めの1次元を追加した5次元時空間の映像。

・さらにミクロの素粒子の世界で時間次元が生まれた事実とその誕生の仕組みを解明する。

・また、後半のアンティキテラでは、数学だけではなく、人類は1000年分のテクノロジーを消失していた事実を見つけた。地動説の萌芽の発見とあわせ、計3つの証拠が出揃う。

素数ノ謎 解明への大航海(第1幕)は気温が常時、体温より暑い東南アジアで、まったく頭脳が働かない愚かな状態から再起をはかっています。しかし、リーマンが世に問うたゼータ関数はいったい何を求めているのか? その意味を問い続け、あたまと身体が分離しながら、数式に潜む謎に迫っていきます。実際に自然界に現われた素数の神秘性を拾いあげ、円周の角度が深く素数とつながっていると確信。さらにそれが惑星運動-生物-原子核などのあやゆる円周運動に「周回スピード」「歯車の数」「振動数」と名前をかえて登場します。

素数ノ謎を追う旅は、素粒子の姿を求めてミクロの世界で次元とは何かを追求する旅に変貌。そこから帰還すると、答えがあったのだ。この力を利用して世界でもっとも解読困難なエニグマを越える暗号技術が開発できる。

 

 

 

 

 ジョエルとその仲間たち

理論物理学者のことです。

 次元を旅した史上初めての人間はフランス人のジョエル・シャークである。彼は学者なのでその明晰な頭脳で旅した。彼は20代にプリンストン高等研究所にいた実在の物理学者。彼の発見は生前、誰にも認められなかった。悲嘆にくれたジョエル・シャークはわずか34才で美しい妻を残して自殺した。

以前、わたしは『時間』の探求者たちの話を『天才ガウスと時間の商人たち』で書いたが、次元についてもずっと探求を続けている。

この世は縦横の平面に高さを加えた3次元に、時間を加えた4次元と定義される。20年前には懐疑的なひとも多く、時間をどう定義するかにより、異なった次元を前提にするひとが多く、話がかみ合わなかった。

しかし、今の物理学ではわれわれの世界は縦横高さに時間を加えた4次元の世界に住んでいるということは共通の理解になった。

 

真実は、われわれの宇宙は11次元。

今晩、この絶壁に一番最初に取りついた、ひとりの男の話をしよう。彼は昔の見捨てられた理論『弦理論』をひっぱりだして、その当時(1970年代)の物理学者が直面していたある難題に回答を見つけた。

物理学者たちを悩ましていたのは、この世のなかの物質の最小単位『素粒子』の姿と形を問うもので、一般性相対性理論素粒子の理論をまとめ、この世界を統一するマスター理論「万物の理論」を構築する過程で起ったできごとだった。

ジョエル・シャークは、天才的な頭脳をもち、彼の相棒は不屈の男ジョン・シュワルツ。2人は将来有望の数理物理学者だけが呼び寄せられるプリンストン高等研究所で研究を行っていた。もっとも頭が柔軟でしかも、多くの研究のとっかかりや発見は26才ごろに訪れる。

シャークは、アインシュタイン一般相対性理論素粒子の理論を統合すると、なぜか、数式にゼロが現われてしまい、無限大∞という意味不明な数値が現われることを解決するのに、弦理論を古い学説の山からひっぱりだしたのである。

 

当時の宇宙の一般法則「アインシュタイン一般相対性理論」と素粒子の理論を統合すると、「重力=1/距離」の数式で表され、距離は縮まると、最後は「重力~1/0=無限大」になってしまった。つまり無限大∞になってしまう。これでは意味不明の数式となり、その理由を突き止めなければならなかった。ここにも物質間の距離を求める式が現われた。

 

今でこそ超弦理論はすばらしい発想だと物理学の授業では、教授たちも教えているが、当時はまったく違っていた。うとまれ、嘲笑の対象にすらなっていたのだ。

 1974年5月14日、シャークとその相棒のシュワルツは論文『DUAL MODELS FOR NON-HADRONS 超弦理論』を発表したが、幸先は悪く、学会の反応は冷ややかだった。そして、その理論に決定的な評価を下したのは、「超弦理論が成り立つ条件が10次元の世界」でしかないことがわかったからだ。

「10次元? あとの6つはどうするんだ! こんな研究は物理学とも呼べない」と批判を浴びた。そして、ついには誰からも見向きされなくなった。研究者としての未来に暗雲がたれこめた。見通しは暗くなる一方だ。

Joël Scherk (1946 – 16 May 1980)

シャークは故郷フランスに帰ることにした。糖尿病の治療というのが表向きの理由だが、プリンストンでの取巻きの冷ややかな反応に耐えられなかった。彼はパリにあるフランス高等師範学校にもどり、研究を再開したが、問題はこの世(われわれが住む世界)が10次元であると数式が示す世界と、現実の世界の隔たりをどう説明するのかという研究に入っていった。

ノーベル賞を2度も受賞し、スウェーデンから帰国途上で亡くなったジョン・ナッシュ博士注が残した言葉。

「わたしがリーマン予想を証明するときに考えていた証明戦術は都合のいい(それが成り立つ)世界を見つけ出し、実はそれが現実の世界と地続きであると証明する考えでした」。

残念ながら、ナッシュ博士は証明するはずだった『リーマン予想の型破りな見方』という講演中に言語不明瞭におちいり、ついにはしゃべれなくなってしまった。統合失調症の発症だった。

 

つまり、シャークは都合のよい世界を見つけた。しかし、それがあまりにも型破りな見方だったので、この世と地続きであることを説明できなかったのである。

 

ここからは以前にわたしが研究していたことで説明する。だが、もっとも知性の高い人間で、突破できる実力をもちながら、この証明に挑んだのはジョエル・シャークが世界ではじめての人間であろう。

そして、彼は11次元の入り口に立ったのだ。

 

CONTENTS  CONTENTS

                         第1部

 この世界が11次元の意味を問い続けた男 ジョエル

 時間次元マイナス軸への行き方

 遂に自然界に複素平面を発見 

素数は振動数だった!

NEWS 時間次元が空間次元に隠れていた

 ランドール博士の水滴宇宙のカーテンはウィッテンが発見した膜次元

 縦横高さの3つの空間次元に斜めが加わった5次元時空間を映像化 

                         第2部

 素数ノ謎 ゼータ関数は何を求めている? 自然界に例 光の明るさと距離

 古代エジプト数学はπを使わなくても円の面積を計算していた方法

 紀元直後のギリシャに17世紀のテクノロジーが生まれていた

 なぜ、アストロノーべに素数歯車が5つも必要なのか?

 非可換幾何学な映像と巻き上げられた空間に住む住人たち

 次元の数式にみつけた死角

 わたしが落ちた時間ループの歪みと人間中心主義の轍

 DEDICATE to POLAND, POLACK, MATHEMATICIAN & EXPLORER

 

 

次元を旅した男  次元の探検家 理論物理学者ジョエルと仲間の冒険

次元を旅した男  次元の探検家 理論物理学者ジョエルと仲間の冒険

 

 

 

 

 

ナッシュ博士は核ミサイル戦争のゲーム理論でランドへ招かれた

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連日、北朝鮮の核開発と大陸間弾道ミサイルICBM発射の挑発について、分析記事が新聞紙上に掲載される。

的を射たもの、そうでもないもの。

 どれが正しいというのが無いのが戦争理論である。

 

 

 天才数学者はランドへ招へいされた

この分野の研究で一躍、脚光を浴びたのは若き数学者ジョン・ナッシュ博士。あの映画「ビューティフル・マインド」の主人公である。

彼が招聘された研究チームは米国の「ランド」。リサーチ&ディベロップの略称。

映画では、ランドで彼が何をしていたかは描かれなかった。今、またこの学問が陽の目を浴びている。

そのころランドでは、アメリカとソ連邦が核戦争を行うことを想定した戦争シュミレーションを行っていたのだ。

そこで、アメリカ空軍は、マグドネル・ダグラス社に対し、戦時中の軍事物資調達資金の残り1000万ドルをこの研究機関に提供し、この分野の第一人者たちを招聘した。

白羽の矢がたったのは、全米に数学の天才として名が知れ渡ったジョン・ナッシュと6才年上のロイド・シャブレー。

彼の「ゲーム理論」を戦略理論として、核兵器とミサイルによる米ソ開戦をいかに有利に戦うかを研究する格好の基礎となった。

 

いま、われわれが置かれている、米・日・韓対北朝鮮、ロシア、中国の対峙する構図とまったく同様である。

ナッシュ博士のゲーム理論の着地点は、ゼロサムゲーム(ゼロ和ゲーム)、いわゆる2人で行う、一方が儲かれば、もう一方が損失をこうむる式のゲームで、勝敗はある均衡に落ち着くという結論。これをナッシュ均衡という。

 

1950年の初めに行われたこの研究は、おおよそ10年ほど続けられたが、ナッシュ博士がいたのは最初のは5年間。

ランド研究所は米軍の最高機密に関与していたことから、博士はそれについては公にしていないが、いくつかの研究成果を発表している。

そして、このゲーム理論の研究で、アメリカの攻撃拠点が一ヶ所に集中し過ぎていることが、攻撃する相手に非常に有利に働くことが裏付けられ、この分野の研究はある程度成功している。

 

今でいう米軍基地グアムである。つまり、相手が叩く必要がある拠点が多ければ多いほど、攻撃漏れの確率は高くなる。つまり、反撃され負ける。では、基地は多ければ多いほど有利になるかといえば、、、。

 

北朝鮮ではなく、金正恩氏が「何をしたいのか」を、認識すればおのずと「解」がみつかる。

 

 

 

手持ちはどんなカード!

 

北朝鮮の国民が少しでも豊かで平和で幸せな生活を送れるようにしたい → 否。

すでに国民の3分の1は、人間扱いされていない。

「核心」とされる国と軍を支える層の子弟も海外で強制労働させられている。

ウラジオストックの近くで働く、北朝鮮の派遣労働に駆りだされた若者は「労働に耐えられない」とメモを残し自殺した。

年に7000ドルを北朝鮮に収めなければならない。5年間。

国民の7割以上が奴隷にされている。

 

国を和して永らえさせるているのではなく、独裁体制を維持することだけが目的である。

 

真実は、水爆も大陸間弾道ミサイル保有していなかった北朝鮮は、50年間ずっと存続してきた。

誰も攻撃などしない。すべて、独裁体制を維持するためだけの軍事的緊張を演出している。

 

米国のトランプ大統領が何を言おうが、その発言を利用して、北は軍事拡大を永遠に続ける。

 

この場合、相手が攻撃する意思を示したかではなく、手持ちにどんなカードを揃えたかで、迎え撃つ戦術が決まってくる。

 

これを多くの評論家が見誤っているのではないだろうか?

 

 

ナッシュ博士は素数の謎について「リーマン予想の型破りな見方」というテーマで講演している最中に、深刻な統合失調症(精神分裂症)を発症した。彼がさまざまな病院機関で治療するかたわら、モルモットのような治療も行われ、その後、20年近く彼の明晰な頭脳と意識は混濁する。

 

しかし、30年経過し、彼は帰ってきた。

それを発見したのは数学者で物理学者のフリーマン・ダイソン博士。あのモンゴメリー素数原子核の関連を発見した同じひとである。

 

「あのナッシュが帰ってきた!」と彼は仲間に打ち明けている。

そして、ナッシュのゲーム理論は経済学などさまざまな学問の分野に取り込まれ、彼を晩年、ノーベル賞へと導いた。

20世紀後半に出現した数学の天才は、もっとも仕事ができる30年間を失っても、なお学問に輝くばかりの金字塔を打ち立てた。そして、「奇跡的に帰ってきた」ことが、学問の研究者だけでなく、多くの人々の心をふるわせたのではないだろうか。

 

また、そのちりぎわ。すごい幕引きだった。

ノーベル賞(2度目)の式典に夫妻で出席し、アメリカに帰国し、自宅へ帰るそのタクシーで事故にあい、2人とも亡くなった。まるで流れ星、シューティングスターのような星だった。そして、彼を支えた婦人も見事な人生を生きたとしかいいようがない。

 

 

 

 

 

ジョン・ナッシュ博士

ナッシュは1928年、電気技術者の父とラテン語教師の母の間に生まれた。彼の父は、神童だったがそれでもオールAの学生ではなかったナッシュを手厚く見守っていたという。ナッシュは絶えず読書をしていたし、バッハ音楽の全メロディを口笛で吹いたという。彼は全額奨学金で今のカーネギーメロン大学に入学し化学工学から化学に、さらに数学に専攻を変えながら19歳の年齢で学士と修士学位を一度に取った。当時ナッシュはドイツの偉大な数学者の名前にあやかって「若きガウス」というニックネームがつくほど数学ができた。卒業後は指導教授から「ナッシュは数学の天才だ」という一行の推薦状をもらってプリンストン大学院の数学科に入った。

  当時プリンストン大学は数学と科学において世界の中心地と見なされていたが、アルベルト・アインシュタイン水素爆弾の数学的理論および現代式コンピューターの開発に寄与したジョン・フォン・ノイマンがいたからだった。特にノイマンは1944年にオスカー・モルゲンシュテルンと共にゲームの理論を発表したが、これは競争に対する最初の論理的・数学的解釈であったため多くの注目を浴びた。

  だがその理論は1人が勝利すればもう1人は必然的に敗北する勝者1人占めのゼロサムゲームを扱ったため特殊な状況を除けば現実社会に適用することが難しかった。ところがナッシュは競争者間の非協調的関係でも相互間に利益をみることが可能な状況を研究したのだ。例えば企業間の競争、貿易交渉、議会での与野党間の交渉さらには生物の進化に至るまで多様な実際の状況に適用されることができるゲームの理論が確立されたのだ。このような「ナッシュ均衡」理論によって彼はたった27枚ほどの学位論文を書いて3年後に博士学位を受け、その理論でノーベル賞を受賞することになる。

  ナッシュは1951年、MIT数学科に講師として就職しながら激動の人生を始める。1年後にエレノアという看護師とつきあったがナッシュは彼女が妊娠したこと知って彼女から離れた。1954年には同性愛者おとり取り締まりチームにひっかかって受難を体験し、1957年にはMITで物理学を専攻したアリシアと結婚した。1958年にはMITから定年保障を受けたが、わずか1年後に辞任した。

  ナッシュの行動は常にほかの人々とは違っていたが彼の病的症状が問題になったのは1959年からだった。彼の精神状態は映画『ビューティフル・マインド』でよく描かれている。彼の症状は妄想と幻聴だったのだが、例えば赤色のネクタイを締めた人は全て自分に害を与えようとする共産主義者だと信じるというものだった。         

 

アンへレス 移住候補地プエルトガレラ!

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移住候補地プエルトガレラ

 

フィリピン移住先候補の有力なのはプエルトガレラ!

移住先として見た時のプエルトガレラをデメリットも含めて検討します。

 

まずはプエルトガレラのロケーションから。

マニラから3時間ちょっと。

好立地に?(はてな)が付いてしまいます。

 

例えばマニラの市街地からだと、パンパンガ州のアンヘレスなどは約2時間。

スービックだと約4時間くらいは見る必要があります。

 

とは言っても渋滞や、どこをマニラ市街地とするかに

よって若干違ってきます。

 

なのでマニラから3時間ちょっとは

それほど近くもないけど遠くもないって感じでしょうか。

方角的にはマニラから南に向かいます。

 

アンヘレスやスービックとは反対の方角で、

大雑把にいえば、フィリピンの軽井沢とも呼ばれる

タガイタイという観光地に向かいます。

 

タガイタイは途中からそれる感じです。

 

※本家のフィリピンの軽井沢はバギオかも

 

 

 

マニラから3時間の内容ですが・・・

 

概ね2時間がバス、1時間がボートです。

 

乗り継ぎがあるので、やっぱり4時間くらいは

かかっちゃうかもしれません。

 

フィリピン移住先プエルトガレラの5つの魅力

プエルトガレラの魅力をたったひと言で

表すとしたら、ズバリ 美しい海です。

 

もちろんハワイのように

決してマリンリゾートとして栄えているわけでもないですが・・

いわゆる世界的なリゾートホテルもないですし。

 

とはいえなぜか惹かれるプエルトガレラ。

ってことでプエルトガレラの魅力をお伝えします。

 海、とにかく海がキレイです!

 

マニラ周辺にも海はあるのですが、

あまりキレイではないですね。

その点、マニラ湾から離れたプエルトガレラは

我々が想像するキレイな南国の海そのものです。

 

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ただしプエルトガレラにもエリアがあり

カップルなどでホワイトサンドを楽しむなら

文字通りのホワイトビーチ。

 

男ひとりでリゾートライフを楽しみたいなら

サバンビーチ。

地元の生活を楽しみたいならムリエ地区ですかね。

どこの地区からも海のアクティビティは申し込めます。

 

私は今回の滞在でフィリピンに来て

初めてと言っていいほどマリンリゾートっぽい

ことをやってきました。

いわゆる島々を巡るプチアイランドホッピングです。

 

まあ本格的に何島も巡るわけではなくて

メインは海遊びです。

 

シュノーケリングってやつを経験してきましたよ!

キューバダイビング

海に含めてもいいのですが、あえて別枠でプエルトガレラ移住の魅力に加えました。

というのもプエルトガレラは世界的に有名なスキューバダイビングポイントです。

私が滞在していた時も多くの西欧人がスキューバダイビング目的で

滞在していました。

アメリカだけではなくてドイツやスイスなどヨーロッパからの訪問者も多いそうです。

 

海が美しいだけでなく、値段がリーズナブルなのが人気の秘密だそう。

私もスキューバダイビングをやりたくなりました。

 

 

プチ繁華街

独身男性がフィリピンに移住するなら

やっぱりバーの2件や3件はないと退屈ですよね。

そんな願いを叶えてくれるのがサバンビーチ周辺にある

プチ繁華街。

もちろんマニラ、アンヘレスなどに比べると

規模は小規模ですが遊べるところが一応存在します!

(いい意味で)外国人慣れしている

前述したようにプエルトガレラには

韓国、中国、日本のようにアジアからの来客だけでなく

西欧人も多いです。

 

なので、地元の人にとって外国人がいることは

普段の景色になっているんですね。

 

ということはその分相場も高くなりそうですが

一方で外国人だからといって好奇の目で見られることは

少ないです。

 

あまりに外国人が少ない場所だと

何かトラブった時などは身の危険も感じると思いますので

ある意味安心感はあるかなと、、。ひと言でいえば、外国人を受け入れる下地ができているということですね。

コレ、移住を考える時は意外に重要だと思います。

 

マニラを拠点空港に出来る

マニラからかなり距離はあるものの最寄りの空港はマニラ国際空港(NAIA)です。

 

コレって海外によく行ったり、日本に頻繁に帰国する必要のある人にとっては結構、有利になります。

 

というのもダバオやプエルトプリンセサなどの地方都市に住むと

マニラから国内線に乗る必要があるからです。

 

フライト時間自体はマニラから最大でも2時間ですが、

トランジットの待ち時間も含めるとかなり時間がかかります。

 

乗り継ぎ時間のことも考えなくてはいけないので

どうしても余裕を持つスケジュールにしがちなので

その分、待ち時間が増えるというわけです。

 

そしてもちろん、飛行機代を考えても

国内線がかかってきますので、

マニラ周辺に住んでいる場合と比べて

何かと割高になります。

 

国内線でもセブパシフィック航空やエアアジアなどのLCCを使えば

日本の国内線や新幹線ほど高くはないですが、

やっぱり負担にはなります。

 

なのでマニラの空港を拠点に出来ることは

実は有利になるわけですよ。

 

フィリピン移住先をプエルトガレラにする場合のまとめ

とにかくプエルトガレラは海、海、海ですよ。

 

なので、海がとにかく好き!

四六時中スキューバダイビングをやりたい!

特に都会的な遊びはいらない!

というような、根っからの自然派にとっては

かなりいい場所です。

 

一方でフィリピンで、ビジネスを考えていたり

ボートが苦手な人にとっては、おすすめ度は下がります。

マニラのあるルソン島とプエルトガレラを結ぶバンカーボートが

たまにすごく揺れるんですよ。(汗)

 

まあ毎日1時間ボートに乗るわけじゃないので

心配な時は酔い止め薬を飲んでおけば大丈夫です。

 

ただし、このボートは将来的に消える可能性もあります!

なぜなら、ルソン島とプエルトガレラのあるミンドロ島を結ぶ

橋が建設される計画があるから。(笑)

実現の可能性がどのくらいあるかはわかりませんが

もし橋ができたらプエルトガレラは

相当観光地として有名になると思います。

 

私も普通に生活をするだけなら、プエルトガレラに移住はない気がしますが、目的が尾根遺産なら、候補地になります。

 

注)ボートを降りるとき、本当に気を付けていただきたいのですが、ツアーガイドやポン引きは一切断固無視してください。ボート到着で腹をすかせた大量の蟻のようなガイドがあの手この手でせめて来ます。

さて、ホテルにチェックインするまでに詳細な地図確認を怠ってしまったので、ポン引きに「このホテルはどこだ?」と聞いてしまったのが失敗でした。ポン引きはしつこく小型ボートの島の各ビーチの遊覧などを進めてきます。ホテルを案内してもらったのはいいとして、しつこくいくら振り切っても離れてくれません。

2000ペソの遊覧バーベキューツアーを要求してきます。相手は190cm程度100kgオーバーの厳つい出で立ちでかなうわけありません。

とりあえず、500ペソの前払い予約金を求めてきました。

こいつとは交渉の余地にもならないので、さっと500ペソ払ってホテルから押しのけました。そして翌日こやつは、ガラスを割るかの威勢のようにドアを思いっきり蹴ってきて、女とホテルまで寝ている私を起こしに来やがりました。

正直、前日の500ペソでうまく逃げられたかなと思ったのですが、狭い島、しいては狭い村社会なので逃げるのは難しそうです。

しょうがないので遊覧船ツアー、残りの1500ペソを支払いました。ホテルのオーナーも嬢も私への援護射撃をしてもらったんですが、なにせ巨漢の荒くれものには、なすすべありません。

遊覧船バーベキューツアーはひどいものでした、子分の10代前半~後半と思われる小中学生ぐらいの少年二人が肉を所々の浜辺で薪で火を焚いて、えたいのしれない調理方法で謎の肉を焼いてくれます。

 

 

 

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