reuterjapannews’s diary

宇宙のなかに住む住人は、どうすればその形がわかるのだろう,という世紀の難問ポアンカレ予想から出発した壮大なドキュメンタリー。決して外から形を眺めることができないがそれに挑む天才数学者たちが繰り広げる死闘を執念で追います。また、記者自身にもそれに挑戦させるとんでもない企画。数学や理論物理学がこれほどまでに凄まじいものかと、、。その煌きと感動を身をもってお伝えします(><);ギリシャ問題、中国バブル崩壊、性奴隷マーケット問題などニュースの裏側を伝えます。短期勝負なのでいづれブログではなくなります。Web MO

紀元前200年 ギリシャ図書館長と盲目の美女バビロニア

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 エジプトのロゼッタで1799年に発見された石版は、紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部であった。縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。当初花崗岩または玄武岩と考えられたが、古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱であり、碑文は三つの文字、すなわち古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字で記述されている。

 

 翻訳文
父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした・・・・不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した・・・・祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。・・・・神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした・・・・
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 細かい違いはあるが、本質的には同一の文章が全部で三つの書記法で著されていると推測された。
 しかし、その後、この失われた文明の文字を、読み解けるひとが現れない。数学者がまだ、この分野に踏み込んでいなかった。

 

この発見は9月にはフランス遠征軍の公報「エジプト便り」にも載せられた。
匿名の報告者はロゼッタ・ストーンがいつかヒエログリフ解読の鍵になるだろうという希望を述べている。1800年には科学芸術委員会の技師3人が岩盤の文章を写す方法を考案するが、その内の1人こそ植字工であり天才的な言語学者でもあるジャン=ジョゼフ・マルセルだった。
そしてマルセルは中央の文章がもとはシリア語である可能性に最初に気づいた人間として名前を残している。実際にはエジプトのデモティックの書記法で書かれていたのだが、これはまれに碑文として岩などに彫られる文字であり、そのため当時の学者たちが目にすることはほとんどなかった。そして芸術家であり発明家だったニコラス=ジャック・コンテがロゼッタ・ストーンそのものを版木に使う方法を考えだす。できあがった複製はチャールズ・ドゥグア将軍によってパリに運ばれ、ついにヨーロッパ中の学者が碑文を目にした。
時は20年流れ、(1822年)ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって突破口が発見された。これによってロゼッタ・ストーンはエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書が続々と翻訳されるきっかけになった。
 真相はさらに後にあきらかになるのだが、人類史を書き換えるテコの支点となり、バビロン文化が日本にも伝わった、謎の扉をも開くキーにつながった。

 

ロゼッタ・ストーンはより大きな石柱の断片の一つだが、後にロゼッタでおこなわれた調査では残りの部分は見つかっていない。損傷しているため、三つの文章のうち完璧な状態で残っているものはない。
上部に記されているエジプトのヒエログリフで書かれた文章が最も欠落が激しく、わずかに最後の14行のみが読み取れる。右側の文章は全て失われており、左辺に12行が残っている。
続くデモティックの文章は最も良い状態で保たれ、32行あるうち、右辺にある最初の14行がわずかに欠けている。最後に記されたギリシア語の文章は54行あり、最初の27行は全文が残っている。残る箇所はロゼッタ・ストーンの右隅が斜めに割れているせいで行が進むごとに断片的になっている。

 わずかに時代が遡るプトレマイオス3世の在位中である紀元前238年に出されたカノプス勅令の碑文は高さが219cm、幅が82cmであり、ヒエログリフで36行、デモティックで73行、ギリシア語で74行の文章からなっている。
この柱は、支配している君主が聖職者層に税を減免した事を謝して寄贈された、いわゆる記念石柱に分類されるものでも後期に入る。ファラオたちは2000年以上にわたってこういった記念石柱を立てており、最も古いものは古王国時代にみられる。初期にはこういった勅令は王がみずから下していたが、メンフィス勅令は伝統的なエジプト文化を受け継ぐと称する聖職者の名で発布されている。
プトレマイオス5世が銀と穀物とを神殿に寄贈したことや、ナイル川の水位が非常に上がった中で8年間も在位していたこと、農民達のために溢れる水をせき止めさせたことを勅令は記している。こうした特権の礼として、聖職者たちは王の誕生日や即位日を毎年祝うことや、エジプト全土で他の神々とともに王に仕えることを約束した。勅令は結論にかえて、プトレマイオス朝で用いられていた、「神の文字」(ヒエログリフ)、「文書の文字」(デモティック)、「ギリシア人の文字」で彫られたこの文書の写しを、全ての神殿に収めることを命じている。

これが、われわれがヒエログリフを通じてわかるエジプト文明のある一瞬を切り取った過去だった。

そして、エジプトを本格的に研究できる環境になった以降も、まだ考古学者と盗掘者の境界線がない時代が続き、文明の謎は深まるばかり。
わたしは、ギリシャ人が紀元前200年に世界最大の秘宝図書館長をしていたアルキメデスの友人を研究していた。
そして、ギリシャの文明がなぜ、世界の最高水準になれたのかを調べていたのだ。現在のギリシャ人にはなにも希望しない方がいい。数学者が世を憂う文学を書いて生きているお国柄だ。
 なぜ、失われた3000年の犯人がイタリアなのか、われわれが気づいたのは、もっとあとのことだ。