北タイ探検記Ⅲ 60
兪元城Youen Chan タイ語かもしれない❗️
理由があり作画です。textはドキュメンタリー真実です Evan shintani images
これはまったく違う都市国家ラオスの南で見つけた同規格の遺跡です。あくまで参考です。まだ、関連づけ出来ません
兪元城
中国人に発音させると
Youen Chan
しかも、Google はこの文字列を日本語と識別します❗️
2000年11月に撫仙湖の湖底で驚くべき発見があった。
アマチュア潜水士が湖底に沈んだ遺跡を発見したのである。
湖底に沈む石でできた建造物であった。表面には藻が付着していて、相当に古い遺跡であることは一目瞭然。明らかに人の手で加工された石積みで出来ているー。
アマチュア潜水士は賢明な男で、発見後すぐには発表せずに証拠を固めた。
撮影機材を用意して38回の潜水を行い、大量の写真と動画を撮影した。その後、満を持して映像資料を公開したのである。
それは驚くべき資料であった。
撫仙湖の底には港、ダム、寺院などの他に、ピラミッドや古代ローマのコロシアムに似た建造物が沈んでいたのだ。
Gの発見は考古学者の注目を集めた。専門家による潜水調査や無人潜水装置を使った科学的調査が行われた。
その結果、Gの発見が真実であることが確認されただけではなく、予想以上に大きな遺跡が湖底に眠っていることが判明したのだ。
水中都市の正体
前漢時代(B.C.206年から8年)の撫仙湖近辺には、兪元城(Youyuan)という都市が存在していたとする記録がある。
ところが隋(581年から618年)以降の記録には、兪元城の記録が忽然と姿を消している。
多くの歴史学者が、撫仙湖に沈んでいるのは幻の都市である兪元城だと考えたのは当然である。
しかし後の調査により、この推測には欠陥があることが明らかになった。
第一に、湖底の都市の規模が大きすぎるのだ。
湖底の都市は少なくとも2.4平方キロメートルの面積を占めている。しかし前漢時代の地方都市は1平方キロメートルもないのが一般的なのだ。
さらに前漢時代の建造物は木造が中心である。ところが水底の建造物は石造なのである。当時の建造物のスタイルと同一視することはできないのだ。
遺跡の大きさは、南北約2000m、東西約1200mだそうで、都市の城壁と見られる、
長さ30m、高さ1.5m、幅3~5mの石垣が見つかった。
本物の湖底に眠る都市
回収された遺物には、「陶釜」という、紀元前5~3世紀にかけて使用された、
古代の調理器具の一部もあった。
また、底幅63m、高さ17mのピラミッド型石組み建造物や、
300m以上の石畳道路などの存在も確認された。
2006年にも調査が行われたが、調査結果の詳細は不明。
(2006年の「調査をする」という記事は見つけましたが、その結果を紹介する記事はない)。
撫仙湖は、標高1750mの高原淡水湖で、透明度が高い。
この湖底に眠る都市国家はおおよそ1750年前に水没という
撫仙湖水中都市の水没都市
出版物では、
『国家の宝物全記録』(国家宝藏全档案)(中国工人出版社)
で紹介されている。
この湖に沈んだ古代都市があるという伝説が古くから伝えられているのだが、最近になって何度か科学的な調査が行われ、フーシアン湖の湖底に眠る古代都市の全貌が徐々に明らかになっている。
地元に残る言い伝えでは前漢時代(BC206~AD8年)にこの地方にユーユアン(Yuyuan)という都市があったとされるが、その後の隋王朝時代から唐の時代(581~907年)の間の記録にはユーユアンの記述が一切残されていない。
したがってこの間のどこかの時点でユーユアンは湖に沈んで消滅したと考えられているのである。
天気がよく水の透明度が高い日などは、陸からでもこの湖底の遺跡がうっすら見えることもあることから、地元では古くから“水下古城”と呼ばれ伝えられてきたという。1992年にフーシアン湖に潜った地元のダイバーが初めて肉眼で水底の都市遺構を目撃した。湖底の都市には石畳や木造家屋があり、陶器や土器類もあったという。
2001年に初めて科学的な調査が行われ水中3Dスキャナーによって、都市の大きさは2.4~2.7平方キロメートルであることが突き止められた。建築物はほとんどが木造で石畳の道路があり、土器や陶器、彫刻された石細工なども発見されて、そのいくつかが回収された。
中国の湖底に沈んだ伝説の古代都市「ユーユアン」の謎! 木造家屋、巨大ピラミッド、謎のマスクも… 科学調査で衝撃の実態判明!
2018.12.28 10:00
2006年の調査
■1800年前から1750年前の地震による地滑りが原因か?
2006年には中国のテレビ放送である中国中央電視台(CCTV)が再び調査を行い、もともとはピラミッド状に積み上がっていた石が崩れた痕跡が発見されたといわれている。石には複雑な彫刻が施されていて、その構造はエジプトのピラミッドよりも複雑であったという。
見つかった多くの石のうちの1つがいくつかの点で特別な注目を集めた。例えば石の右上の部分には、それを囲む7本の放射状の線が彫られた小さな円があり、これは太陽に似ていることが暗に示されるのだ。
同じ石の左側には小さな円が刻まれていて、こちらの放射状の線は4本だけである。こうしたタイプの彫刻は専門家によって相当にレアなものであると考えられ、1800年以上前のものであると推定されている。
2007年には回収した建造物の一部を放射性炭素年代測定したところ、1750年前ほど前のものであるという結果が出た。
西暦250年である。
テン王国のものだ。
また石の中には“マスク”に似た彫刻を施した石もあったという。それらのマスクは人間のために作られたものではないように見えるという。
1800年前から1750年前のこの湖畔には、かつて栄えたテン王朝(Dian Kingdom)の街があったといわれているが、大規模地震で起きた地滑りによって湖に“沈没”したことが一部で信じられている。
アメリカのテレビ放送「ヒストリーチャンネル」の人気番組「Ancient Aliens」シリーズで、この話題が紹介された放送回では、この湖底の古代都市が地球外からもたらされたエイリアン文明である可能性を指摘しているという。
この城は発音はルアンです。
タイ語源です。
タイ人とラオス人は兄弟です。
ルアンは城郭をもつ都市国家。例 ルアンパバーン チェンマイ、ルアンナムター、防御機能をもつもので遠くはチベットのドルポもそうです。規模は小さくですが。
兪元城(Youyuan)は楚王国(日本人血筋の日本支族とタイ人が一緒に建設した都市国家です。
日本人とタイ人はエイリアンだそうだ❗️
日本人のエキスパートとコンタクト出来ないのが、2200年前の日本の出来事が解明出来ない理由です。みなさんのご意見を待っています。
北タイ探検記 出雲大社はどこから
https://reuterjapannews.hatenablog.com/entry/2022/01/30/173701
#ディスカバる #考古学 #水中考古学 #日本史 #古代日本史