証拠が出てきた
2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に 包囲された。
社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、
オフィスや地下駐車場の車を破壊した。
デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。
発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける 韓国軍の民間人虐殺特集だった。
「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具スジョン氏。
ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、 韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。
記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。
〈1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、
3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には
1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略)生存者の証言を元に
韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉
韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する
「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。
冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。
しかし、ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。
元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』
(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。
「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、 子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」
韓国は1964年から73年まで延べ32万人を南ベトナムに派兵。
ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、 ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。
白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には
盧泰愚が就いていた。
前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも
9000人以上と見られている。
村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が
焼き殺される惨たらしい事件も起きている。
そうした史実は国際的にはまだ知られていない。