ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

天才数学者ペレリマンが挑む宇宙の形  ドストエフスキー「罪と罰」を超えたドラマへ 

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ポアンカレ予想とペレリマンの名は

歴史に「永遠」を刻む。

世紀の難問ポアンカレ予想はいったい何だったのか? そして、それを証明したロシア人数学者はなぜ、姿を消したのか? 数学のノーベル賞とされるフィールズ賞クレイ数学研究所のミレニアム(千年紀)賞をダブル受賞しながら、受け取り拒否した学者として、彼の名前は永遠にこの問題とともに歴史に刻まれた。

 

この問題は知れば知るほど、この問題が抱えていたもうひとつの顔を浮き彫りにする。それは本編で記すつもりだが、いずれこのドラマは映画化される。「ビューティフル・マインド」のジョン・ナッシュや、「イミテーション・ゲーム」のアラン・チューリングのストーリーを凌ぐドラマだから。いや、恐らく「罪と罰」、「白痴」、「賭博者」のドストエフスキーのようなドラマ展開に近いだろう。イギリスのBBCは近年、「ドクトル・ジバゴ」や「罪と罰」をドラマ化しすばらしい作品を完成させている。「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」まで息を吹き返した。

 

どうしてかって?

 それは、純粋数学の問題に挑んだ男に、研究機関が賞金を賭けた宣伝ショーに利用したために味わされた苦悩の記録になったからだ。そう、ミレニアム千年紀問題で初めて証明された問題、それが宇宙の謎に迫る問題でもあった。(注1)さらに、純粋数学の問題は他の学問と異なり、正しく積み上がった普遍の真実として永遠に刻まれる。

まだある。

科学を愛するという心は物質的なものを犠牲にしてでもそれを成し遂げようとする人々をマネー主義の下僕にする恥知らずな行為で、さげすむべきものだという議論を巻き起こしている。真理の探究はマネーに置き換わるのかという論議を呼び起こしたのだ。

この問題の棺に封印をして葬り去ろうとしても、必ずまた、誰かにこじ開かれるー。それほどこの問題は人びとを引き付けてやまず、そのために何人もの数学者が散ったのだ。

 

 

 100年前のパリであったこと。

1900年のパリ 国際数学者会議

ヒルベルトは何をしようとした?

世紀の問題はかつても存在した。1900年、ポアンカレと並び称される数学者ダーフィト・ヒルベルトが、パリで開かれた数学者国際会議で、20世紀に証明されるべき数学の問題として23の問題を世界に向かって発表した。それは数学の進むべき道しるべを世界に示したもので、数学者たちにも納得のいく形で受け入れられた。

だが、2000年のクレイ数学研究所の場合は、まったく違った。それはマスコミを使っての宣伝で、研究生活を送る人間をこれほど愚弄することになるとは予想だにしなかったのだ。

 

クレイ数学研究所は、ランドン・t・クレイが40才を越えてハーバード大に通った勤勉家であり、投資信託会社で成功し巨額の富を築いた。特にコンピュータ関連企業の伸びを見抜いた投資法は的確で、数年間で数十億ドルを稼ぎだしたのである。それを原資に数学のクレイ研究所を創立したのである。

 

ハーバード大学にも投資の恩恵をもたらした。それがランドン・t・クレイ教授職だ。なんと2席もある。この発想はイギリスのルーカス記念講座教授職のむこうをはったもので、それほど有名ではないが、羨望の椅子である。

 

純粋数学の問題に懸賞をかけるアイデアをだしたのは、この羨望の教授職についていたアーサー・ジャフィである。かれは米国数学者協会の会長をつとめるほどバランスがとれた男で、同時に学者としても160もの優秀な論文を発表している。

ミレニアム賞に懸賞を賭けたことについて彼は「他(恐らく物理や量子力学など)の学問に比べ、レベルを低く見られているのを払拭し、数学の世界をもっと幅広い層に理解してもらうよう知らしめるため」と説明している。

 

 おりしも、イギリスの出版会が「ペトロフ叔父とゴールドバッハ予想」というアポストロス・ドキアデスの出版キャンペーンとして、同問題に100万ドルの懸賞を賭け、猛烈な宣伝を繰り広げていたのだ。余談だが、この出版社ファイバー社は何とロイズに保険をかけて万一、証明された場合にも備えていた。はっきり言ってこの本は埋もれて当たり前の本であったが、日の目を見ることになる。ギリシャの数学者は文学を書いて、数学者を育てたり、自国の財政破綻を救おうなんて決して思いつかないからだ。

 

アメリカの主要な新聞にクレイ研究所のミレミアム問題の広告が掲載された。その賞金総額700万ドルの文字が躍った、予想以上の注目を集めることに成功した。なんと、その証明を受け付けるウェッブサイトがダウンするほどの回答が寄せられたのだ。それも、とんでもない証明ばかり。

 

 

2、ビューティフルマインドの著者を送り込んだ

  NEWYORKER

 

最後にペレリマンにインタビューに成功したのは、あの映画ビューティフルマインドを書いたシルビア・ナサーだ。シルビアは作家のデビッド・グルーバーとまるで、新聞記者コンビよろしくペレリマン取材にサンクトぺテルブルグに派遣されたのだ。金のでどころは雑誌のNEWYORKERである。

 

彼らはあらかじめペレリマンにメールで取材のアポイントをとろうとしたが、返事はかえって来なかった。それでも2人はサンクトぺテルブルグにおりっ立った。そして、調べだしていた彼のアパートに向かう。いなかったので、取材したいと質問を添えた手紙を郵便ポストに残す。

そして、翌日、指定した公園で待っても彼は現れなかった。また、ポストに行く。今度はお土産のお茶を手紙に添えて。彼らはねばった。これを3回も繰り返したのだ。

そして、最後にペレリマンのインタビューはできないと思い、せめて、家族に話が聞けたらと思い、ドアのベルを鳴らす。

すると母親がでてきた。彼女に挨拶し世間話をしていると、なんと、ペレリマンは部屋にいた。

彼らは小躍りして喜んだ。急造の新聞記者コンビは旅行の目的を果たせたのだ。ペレリマンはまだ、このころはマスコミに過剰な反応を見せてはおらず、彼らを心よく迎えたのだ。すでにメールも郵便受けもチェックしていなかったと言った。

ペレリマンは「ちょうど、話し相手ほしいと思っていたところです」と2人を喜んで散歩に誘いがてらサンクトペテルブルグの美しい春の街を案内した。

そして、極めつけは、彼が大好きなオペラに2人を誘ったことだ。いまではその記事をみることができないが、この取材のできはすでにドラマである。

このあと、誰ひとりとしてマスコミは彼のインタビューを許されていない。そのため、ロシア国内でも執拗な取材攻勢をかけられ、ペレリマンはその都度、困惑した表情を見せる。世間はなぜ、彼が賞金を拒否したのか、それが理解できないため、変人扱いし、彼をパルディー化した映像が世界をかけめぐる。そして、やがては嫌悪の情をもつようになった。

「誰だって、檻に入れられて見物されたくないはずだ」とペレリマンは漏らしていたが、それはさらに証明を横取りしようとする中国グループの登場で檻ではなく「前人未踏の峰を踏破した下山中のペレリマンをザイルで宙吊りにしたまま」にしたのだった。

 

(注)ポアンカレ予想についての多くの書は、この問題がトポロジーに関する数学の問題で、この証明が解け定理にはなったが、宇宙の何かが証明されたわけではない、と解説している。では、リッチフローとは何かに気づいたのだろうか? これは熱微分方程式を応用して、図形の表面をすべらかにし、素多様体を見極めるために欠かせない工程だ。マイナスのリッチフローは正の曲率を持つ多様体をどこまでも収縮させて、やがてはパッと消える。これがなにを意味しているかを理解できなかったに過ぎない。この項は2-3pでは収まらないので第4幕に収録する。ペレリマンは数学の世界から消えてどの分野を研究対象にしているか? その答えも見つかるはずだ。

宇宙の形第2幕オリジナル原稿 copyright  evan