ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

ギリシャ最悪のシナリオへ 移民溢れるアフリカと地続き

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中期的にユーロ離脱へ向かうことになりそうだ。国民が尊敬できない政策者たちを突き上げる状況から、就職難、学生たちのデモ、暴徒化、さらに年金者への支払いさえ滞りがちな現情。すでにこのシナリオを読んでいる資産家と企業は海外へ資産を移し終えて、この国の経済はマヒ状態になっている。
美しい観光資源をもちながら、治安が悪化するため、アフリカの北部の街と地続きになってしまう。
そうならないようEUはドイツをはじめ、フランスも足並みを揃えて支援をしてきたのだが、途中に誕生した愚か者の指導者が、国民の支援を取り付けるため、国民の3分の2以上、時によっては10人のうち7人が公務員という、ばかげた政策を行い、つまらない1人ぶんの仕事を大勢でわけあい、不採算な経済の仕組みを作ってしまった。ギリシャ人はこれで働いたつもりになっている。
ヨーロッパの都市に住んでいたひとたちは、この働き方を目の当たりにして、ため息をついていたが、ギリシャ人で雇用にありついたひとは、これで年金までもらえる。つまり、EUから巨額な資金がでるので、働いても働かなくても同じという愚かな考え方に流れてしまった。
働き盛りのひとは、第一次産業、つまり、農業、漁業で生計をたてるのが一番賢い方法だが、子供が低学年のうちは、海外へ出稼ぎにでるようになる。つまりギリシャ経済難民がヨーロッパ北部の都市をめざすことになる。つまり、アフリカ、トルコと同じ様相へ。
たとえ、風光明媚な都市でも、働き口のない若者がたむろし、観光客を襲うようになるため、観光客の脚は遠のく。ホテルなどサービス産業も振興できず政策は手詰まりになる。このサイクルに陥ると20-30年の長い間、抜け出せない。ギリシャは沈む夕日のように、美しかったとしか言いようがない。

 

COLUMN  ギリシャ数学者PAPA 不屈の男

パパキリア・コプーロス博士(Χρίστος Δημητρίος Παπακυριακόπουλος)1914年 - 1976年6月29日 専門分野は幾何学位相幾何学(ジオメトリック・トポロジー、geometric topology)。
 
債務不履行でEUの「お荷物」と言われるギリシャで生きるとはどういうことだろうか。かつては優れた数学者たちが綺羅星のようにいたのが不思議だ。ピタゴラスの定理で有名な数学の基礎を築いたピタゴラス。そして、ヴェブレン賞に輝き、ポアンカレ予想に25年間取り組み続けた不屈の男パパキリア・コプーロフ博士。
これをあるギリシャ小説家が間違った解釈で、パパをモデルにしたため、「数学の道を選ぶととんでもな不遇な人生を送ることになる」と、広めたためか、ギリシャから哲人が現れなくなった。
 結婚もしない、趣味も医者に薦めらてしぶしぶ出かけて映画鑑賞、それ以外はポアンカレ予想証明だけに捧げた人生だった。
 彼に比べて、今のギリシャはその場しのぎだけの生き方をしている国民性とEU圏のひとは思っている。高校生ですらわかる、国民の3分の2が公務員というとんでもない政策がその最たるものだ。
 ギリシャ国民の人柄が地に落ちようと、わたしはわたし。今さえよければいい、とうい歌声が聞こえてくる。パパ博士のような男をわれわれは、立派だと思っていることを知っておいてほしい。
ペレリマン博士以前に、ポアンカレ予想を解明しようとした数学者たちの足跡もたどると、いかにこの問題が多くの数学者の人生を狂わせてきたかを伝えている。特に印象的だったのは、ギリシア出身のパパキリア・コプーロス博士(通称パパ)とアメリカ人のウルフガング・ハーケン博士という二人のライバル数学者それぞれのたどった人生である。前者は人とのつきあいはいっさい避け、生活のすべてをポアンカレ予想の証明に費やした。婚約者を置いて、研究のためアメリカに渡ったという彼は、ポアンカレ予想を解いたら、故郷に帰って結婚したいと語っていた。しかし、彼は証明を見つけることなく癌でこの世を去る。そして、友人のいなかった彼の墓はどこにあるのかさえわからないままだ。
彼のかつてのライバルは次のように語っている。
「パパはよく言いました。自分の人生はこれでよかった」のだと。数学者は常に日常の生活と数学の世界とを行き来しています。数学の世界には永遠の真理があり、それを理解できる者だけに、完璧な美しさを見せてくれる。まるでクリスタルガラスに乱反射する宮殿に迷い込んでしまったかのように。あるひとには女神が微笑むような至福の雷電がとどろくところ。数学者はそれに思わずとりつかれてしまう。
 一方のハーケン博士は、同様にポアンカレ予想を証明することに半生を傾けながら、それを成し遂げえなかったものの、その人生はずっと穏やかで幸せなものだった。妻や孫に囲まれながら博士はこう述べる。

ドイツの詩人で哲学者であるゲーテは、「家庭のなかに幸せを観るひとは幸せである」と、2重の意味の皮肉を残している。言葉を仕事にしているひとならゲーテニーチェの読み方はわかるはずだ。いかに数学の問題といえども、それに関係するテクニックが揃わなければ解けない。らせん状に技術がつみあがったとき、それをうまく結びつけることができる洞察力とそれを突破できるひとが天才と呼ばれる。
パパは米国においてこれを1957年の論文 On Dehn's Lemma and the Asphericity of Knots (『デーンの補題と結び目の非球面性について』)の中で再度証明し、その功績により1964年にはオズワルド・ヴェブレン幾何学賞の最初の受賞者となる。デーンの補題の他、ループ定理 (loop theorem) 、球面定理 (sphere theorem) の証明にも成功している。パパは米国に渡る以前から数学上の難問とされるポアンカレ予想の証明に情熱を注いでいた。前述のデーンの補題もその基盤となるものだった。自分の生活のほとんどをポアンカレ予想証明の研究に費やしており、IASからプリンストン大学へ移り、大学側から教授職の申し出を受けたときも、自らの研究に専念するために断っている。
 アフリカからの移民で今、スペイン、イタリアは大変な事態に直面している。アフリカの難民問題は地中海での大量の溺死者を生み出している。EUからの助成で、アフリカ移民を農業、漁業、工業などの職業訓練のプログラムを立ち上げれば、ギリシャは、再び世界に帰って来れる。リーダーが現れるのをEU以外でも望んでいる。


1976年6月29日、パパはポアンカレ予想証明を実現できないまま胃癌によりプリンストンにて62歳で死去。ポアンカレ予想に翻弄された彼の人生は後に、アポストロス・ドキアディス (Apostolos Doxiadis) による『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』 (Uncle Petros and Goldbach's Conjecture) というベストセラー小説のモデルとなった。並べてみると、誰がギリシャを尊敬できるようにしたか明白になる。
 これがペトロス伯父を書いた作家 
Apostolos K. Doxiadis (Greek: Απόστολος Κ. Δοξιάδης; born 1953) is a Greek writer. He is best known for his international bestsellers Uncle Petros and Goldbach's Conjecture (2000) and Logicomix (2009).
 ギリシャの若き数学者、物理学者、天文学者4-5人のグループ。学生。失敗を恐れず、ギリシャの財政問題に立ち向かってほしい。誰もが納得するシンプルな理論で、信念をもって進めればギリシャは生き返るはず。世界はそんなひとを必ず応援するのだから。

 

天才数学者ペレリマンが挑む 宇宙の形第2幕: 次元を超えて格闘する数学者たちの生き様を追って

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