魏が滅亡❗️
翌年、呉も滅亡
その国が日本列島に雪崩れ込んだのだ。
博多を避けて呉人が瀬戸内海の呉に入った可能性は地政学的に考えられる。
↓
晋王国が手にしていた最大の版図
邪馬台国は滅びて当たり前だったのだ。
万人単位の敗残兵と難民が雪崩れ込んだのだった。
つまり、紀元前200年も、AD200年もAD2050年も中国の膨張に周辺国は滅びて離散する事が描かれていた。
我々の中に今も生きる卑弥呼とモン族の血筋
たった一枚の写真に凝縮!
左 花嫁の頭飾り、角隠し(モン族) 右 巫女
北タイ探検記70 エピローグ
・卑弥呼は
楚の女 羋巫女 ビェーミフ
・邪馬台国は
「牛の涎の如く押し寄せた魏・呉人の敗残軍と移民に飲み込まれた❗️」
魏と呉の戦争難民に呑み込まれた!
当時の日本列島の人口がわかっているので、次に書きます
お別れに
出雲大社は消失前は48mの高さ。青森の三内丸山は38m?
・最激戦地の博多湾に高さ40m級の社があったはずです。何度、倒壊しても建て直したはず。必ず見つかります。
・瀬戸内海海戦(あくまでも竜船レベル)はまさか、と思っていたのですが、同時期に魏、そして呉が滅んだ事から、殺戮、掠奪、強姦、奴隷を逃れるため、(僅か1-2年の間に起こった)、広島県呉市の呉ー熊野まで考える必要が出てきました。
魏の敗残軍と鉢合わせはないですから。
・数万単位の敗残兵と難民が押し寄せたわけです。当時の日本列島の人口を上回る規模です。
•実際の難民と戦闘の現実「ミャンマー戦記」「ミンダットにこぼれ落ちた涙」「医師は舞い降りた」「ビヨンド・ボーダーズ」を見ていただければご理解いただけます。
ここを訪れて頂きありがとうございます。
アルデベルチッ❣️
この物語は、Beyond Northern Thailand Expedition3
Text. Evan & Angel
reuterjapannews@gmail.com
前話
全容はこちらです
卑弥呼の“謎”
「中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された、日本史初の女王・卑弥呼。「邪馬台国」を支配し、中国皇帝からも認められた「倭国の王」である。
しかし不可解なことに、、卑弥呼に関する記録も、王墓も、日本では全く見つかっていない。
一国を支配する権力者であれば、死後、地域の神社で祀られるのが普通だが、日本各地の神社にも、遺跡にも、卑弥呼が存在した痕跡が見当たらない
理由は以下
(*日本では、聖徳太子や菅原道真、平将門など、国を直接治めていない偉人でさえも、鎮魂の祈りをささげるため、神社がつくられてきた伝統がある)
また、“邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”と「魏志倭人伝」には書かれているが、当時の遺跡や遺物をいくら調べてみても、刺青をしているような痕跡はほとんど確認されていない…
ちなみに、著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。つまり“フィクション小説”として、この作品を記したようだが、、
背景
三国時代(さんごくじだい)は、中国の魏・蜀漢・呉による時代区分の一つ。広義では黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から西晋による中国再統一(280年)までを指し、狭義では後漢滅亡(220年)から晋が天下を統一した280年までを指し、最狭義では三国が鼎立した229年から蜀漢が滅亡した263年までを指す。当項目では広義の三国時代について記載する。
映画原作
ゲノムの追跡者
https://play.google.com/books/reader?id=tK1iEAAAQBAJ&pg=GBS.PA1&hl=ja