わたしはクルンテープの栄華がどれほどのものなのか?
ずっと、探求していたのだ。バカは馬鹿なりにカメラを持ってカオサンを右往左往。そして2週間後、遂に!
開場まもないカオサンの街並みを写し込んだ古びた写真を見つけたのだ。
この町は米の市場が立つ街だった!
そして、運河を航行してタイ湾を抜けてアジアの当時のいにしえの都へと運ばれたのだった。
いにしえの街並み
タイの首都バンコク。バンコクと言えば多くの旅人を魅了し、世界中のバックパッカーが集まるカオサンロードがある町としても有名です。
そんな日本人にも親しみがあり、身近ともいえるバンコクですが、実はバンコクの儀式的正式名称はとても長く、バンコクではない、という事をご存知でしたか?
じつはタイの首都はタイ語ではこのように表記されるようです。
何がなんだかわかりませんので、カタカナ読みではこのようになるようです。
クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット
写真 おっさんがボロカメラで戦った作品
カオサンロード 驚愕の瞬間
非常に長すぎてタイ人達も覚えられない!
というか覚えるつもりもない!ということでタイの人たちは最初の言葉をとって「クルンテープ」と呼んでいるそうです(笑)
ちなみにクルンテープはタイ語で「天使たちの首都」という意味。
なぜこんな長い名前になったのか?ということですが、初代シャム国王が遷都した時に、偉大な都市である、という意味を込めてたくさんの修飾語をつけて儀式名にしたため、とってもなが〜い名前になったそうです。
チャクリー王朝が現在の王朝になります。
日本では、明治元年が1868年なので、明治時代が始まる100年前から続いています。
「チャオプラヤーチャクリー」は、クーデターによりカンボジア遠征から戻った「タークシン」を追放・処刑し、「ラーマ1世」として王を継ぎ、「チャクリー王朝」の初代王となりました。
ラーマ1世は、首都をチャオプラヤー川の内側(現在のバンコク)に遷都しました。
1939年の「ラーマ8世」時代に、国名を「シャム(サイアム)」から「タイ」に変更しました。
そして、現在のワチラーロンコーン国王が「ラーマ10世」として即位しています。
5分でわかるタイの歴史は、いかがでした?
もっと詳しく知りたい方はこの本 「テーメーカフェ戦記」がおすすめです。
どうです、おっさんのクルンテープの日々、
何も仮想現実ARでなくても、生きてるのを実感する毎日です。
日本では宝塚歌劇団が「クルンテープ天使の都」を舞台で演じてるようで、わたしの本を押しのけてガンバッテくれますq
かくなる上は、わたしのクルンテープ全6巻を宝塚の脚本家に渡して、上演してもらいたい!
果たして、ハレンチで高貴なバンコク、アソーク での真実の物語は舞台上映に耐えれるだろうか?
いや、是非、宝塚ファンを魅了したいのだ。
武漢の人々を助けたい。わたしはバンコクに駐在してるので、宝塚ファンで目に止まった方、
この原作を是非、関係者にコピペして頂きたくお願いします。
あの、上の裸はカットですよ!
まだまだ続くおっさんの戦い
乞うご期待です
それでは
アルビディッラッツ!
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