ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

タイに移住しよう 怒涛の2018年版 ドークカムタイの魔法の竜 連載2

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2、SOI  COWBOY

わずか150mほどの小路に50店がひしめきあう、バンコクでもっとも勢いのある歓楽街に躍り出た。スクンビッド通りと平行している小路。ソイ21とソイ23を結ぶこの小道には50-60店がひしめき合う。
最初からこれほど人気があったわけではない。2000年ごろまではナナプラザの方がはるかにメジャーだった。しかし、ナナプラザの度重なる取締りで摘発される店が相次ぎ、その間、ソイ・カーボーイは見放されたようにほとんど手入れもなく、成長した。
最初の成功はバカラ。ここの客引きはかつては黒服を着たおんなのこで、この界隈では一番の美人をライナップした。さらに空きがでた隣地を契約して店を大きくすることに成功。この時代を知らない観光客はなぜ、バカラだけ人気があるのか不思議に思うだろう。店の前に客がたむろしている。歴史があり名が響いているからである。コヨーテダンサーも最終的にはこの店に立つのを憧れるほどだ。
何しろプーケットでタイガーのハリボテがあるPINKという店の看板ダンサーもバカラへ移籍した。
店には決まりがあり、店舗の境界線までが客引きできるエリアでそれを超えると、次の店の娘たちが呼び込みをかける。執拗ではない。なかにはあくびをかみ殺している娘もいる。
呼び込みの娘をプロモガールといい、なかにはそれ専門の娘もいる。成績がいい娘が店のマネージャーから好条件を提示されて、わざに磨きをかける。
なかでも笑えるのは、お星様キラキラを踊りながら左右に移動してお客を待ち受ける20ぐらいの小柄な娘だ。狙いは欧米客で、確率はほかの店に比べ高い。時々、マネージャーが発破をかけにくる。彼の胸を叩き、「任せて!」というジャスチャーをしながら、タバコを吹かす。
やはり、お店に呼び込めるのは限られた娘で、彼女たちの能力が店の営業成績に大きく左右する。
だから、店の女の娘がほとんど総入れ替えされることもあるのだ。市場原理が働き年々規模を大きくする店は、系列店とはわからないように2-5店舗を経営している。なぜ、わかるかと言えば、隣で客引きをしていたプロモガールが違う店のコスチュームを着て別の店の前で営業しているから。
老舗のムーン・シャイン・ジョイント、SAHARA、 SPICEGIRL、SOICOWBOY2 は同じマネージャー(男と女)が店内を出入りしている。
 
53番の娘はボルディー(禿げ)に的を絞って、声をかけていた。嘘だろーと思うが本当。一度、向かいの娘に先をこされ悔しがったそぶりでわかったのだ。しかし、出てきたところをすかさずキャッチ。この体当たりの肉弾営業にはどんな男も堕ちてしまう。


バカラの近くに昔からスージー・ウォンという店があり、20年近く営業を続けている。そのせいで年老いた老兵がここでママと抱き合っている光景を目にする。そのほかはほとんど入れ替わっている。
カウボーイ2号店、スパイス・ガールなどは人気だ。今はあまりお目にかかれないが、2000年ごろまでは、当局がほったらかしにしていたせいで、おんなのこは店内では全裸で踊っていた。その名残は今も残っており、ある店はでは午前2時を過ぎたころは数人のダンサーは全裸になっている。

 

中略

 

 

150人の娘が日本に渡った村

帰還を村をあげて祝う不思議な風習

ドークカムタイの伝説を追って、

 

この本はただのガイドブックではない。歩き方やlonly planetでは決して行けない世界を取材するのが狙い。
メーサイは上の地図には掲載されてないが(次にでてくる地図に掲載)、タイの北部は西部がミャンマー、北部は中国雲南省ラオス、東部がカンボジアと接している。
特に日本と深い関わりがあったのは、タイ東北部(イーサン)のなかでももう少し中北部にある、パヤオパヤオ市。そこから南10㌔にある
ドークカムタイには、日本に出稼ぎに行った娘たちの産地として、地元では有名。
日本には知られていないが、この村から日本に渡った娘は150人を下らない。そして日本人と結婚した娘も少なくても10人は確認できた。
彼女たちは村から尊敬される存在で、村のお寺に無事、日本で稼いで帰国した報告に寺に寄進をしていた。
寺の建立に5000バーツを寄進すると竜のかたちの石像の下に打ち付けられた銘版に文字が彫られている。
彼女の名はイーピン。中国風の名前である。さらによく調べると16名の娘たちの名前もある。
彼女たちはほとんどは日本に渡って成功者として村に帰還していた。
ドークカムタイには、数奇屋造りで大きな白やピンクの不思議な白亜の家がある。これらは日本に渡った娘たちが家族のために建てた家だという。
「2005年ぐらいまで、たくさんの娘がジープン(日本)に行ったよ」。その家の主は、彼女たちの親戚筋にあたるひとで50代のおばさん。
「若い娘は15才から働きはじめて、地元で半年ほどトレーニングされて、日本に渡るのさ。もっとも日本が稼ぎが良かったからね」。
日本だけではなく、ドイツ、台湾、香港、シンガポールにも出稼ぎに行った。しかし、村の人たちに彼女たちを見る目は優しかった。よくがんばって帰ってきたというようにー。

これが日本人と大きく異なる売春についての考え方である。それがわからないと、決して、タイの仏教国でありながら非常におおらかな性についての考え方や、娘をいつくしみながらも、海外へだす親や家族、村のひとたちの心はわからない。
なぜなら村長がまるで企業団地を外国から誘致するように、先頭に立ってブローカーや家族や学校の先生に声をかけて、仲介の労をとっていたからだ。
寺院の塀は高さ1mぐらい。その上にみごとなドラゴンが身を躍らせている。その竜は何かと聞けば、日本やシンガポール、ドイツへ渡って成功した娘たちの姿だという。

まさか? と疑った。
が、彼女たちが何も現金収入のない村から竜の化身となり、金をつかんで帰ってきた娘として讃えられていたのだ。


日本の価値観ではとうてい理解できないことは、隣の国カンボジアをまたにかけて少女売春で名前を知られた玉本事件の地元での反応。

日本では彼を10数名の少女を妻に娶る言語道断の不埒なやつという論調で新聞や週刊誌にさかんに報じられた。
しかし、地元では警察に逮捕され収監されても、なお妻たちの身を案じて送金を続けた、甲斐性ある日本人として悪くいうひとはいない。これには驚かされる。逆に彼を警察に売ったホテルの従業員の男が村八分にされ、消息を絶っていた。
また、玉本氏の実の母親は教職についていたひとで、彼が収監されている期間、タイを訪れ、高齢にも関わらず場所を尋ね歩き、娘たちに生活費を力が続く限り手渡しに来ていた。その姿はタイのひとたちの心を揺さぶったようなのだ。

タイの田舎の村では初潮を迎える14-15才で娘は成人する。それは明治のころの日本と同じ。
それから10年間働いて、25才になったら娘たちは村に帰還。そして、無事、働いて帰ってきたことを村長や村の人々に神社仏閣に報告し、盛大に帰還を祝われたのだった。

ドークカムタイとはそんな竜が棲む村である。

 

 

 だが、しかし、but、それだけでは終わらないのがこの本の編集方針。ではなぜ、村をあげて村長がそこまでして娘を売るのに先頭に立って旗振りするのかを、突っ込んでみた。

この村は特別貧しそうには見えない。なぜなら、タイの田舎の土地はどこも肥沃で米なんか年に2回も3回も採れるし、果物は豊富で山も豊か、鹿もウサギもイノシシ、猿や虎まで食えるから飢えることはない。
このころ起こっていたのは、日本製のバイク、冷蔵庫、テレビにビデオ、電話の普及と、文明の利器が一気にひなびたタイ奥地の村までやってきたのだった。
「あの家にはまだ、テレビがないから、きっと一番上の器量のいい娘はジープンへ行くよ」と村人たちは娘の成長を見守っていたという。それが現実となっただけなのだ。貨幣経済に組み込まれた奥地の村は一気に豊かなのに(貧しい村)へ、魔法をかけられたように価値転換してしまった。
なにしろ、村長が旗振りなら、学校の先生も美人に育ちそうな娘には早くから目をつけてブローカーに紹介し手数料を稼ぐ。
「君は美人なるから、きっと日本へ行けるよ」と娘を叱咤激励する。
教育者がそういうのだから、身体は売りたくない、外国なんて行かないという娘はいない。それに日本や海外へ出稼ぎに行った娘から月々、家へ現金書留で送金される。まだ、ATMが村に普及してなかったので、郵便局員もその封筒から現金を何枚かひっこぬいて私腹を肥やすのだ。
傾いたお寺も娘たちの寄進で立派な建物に復活。各家に国際電話がかかってくるようになり、電話の普及率もアップ、それに電化製品も飛ぶように売れるようになった。でも、多くはバンコクから運ばれてきただけだけど、、。

イーサンの奥地にあった村があるころ、突然に貨幣経済に組み込まれたら、そうなった。それまでは村には「ピー」が棲んでおり、良くないことをすればピーが現れた。ピーは土着信仰による半透明に透かした身体をもつご先祖様。
それらが消えるころ、村は日本のジャパンマネーとテクノロジーに汚染されて、完璧なまでに様変わりしてしまった。


おもしろ話しがある。

ドラゴンとなり空を飛んだ娘
中東のエアラインのキャビンアテンダントをしていた美貌のタイ娘は、長時間フライトのたびにトイレで客をとり、入社5年を数えずに1億2000万円を稼いだ。
勤務中に姿をくらます客室乗務員の行動を不審に思ったパイロットが現場に踏み込んで事件が公になった。このときはさすがのタイ人も、つかまった客室乗務員に「良くがんばった」とは言えなかった。
だから、俺は言いたい。彼女の村長になりかわり、

 

「あっぱれである」。

 

ついに、ドラゴンとなり、本当に空を飛ぶ娘が現れたのだった。
しかし、大車輪の活躍とはこのことを言うのだろう。航空会社からは高い給料をもらい、さらに特別サービスで客から1フライト20万円ぐらいもらっていたらしい。この航空会社はアラブの王族や石油会社のビジネスらが利用していたから、彼女は日本より、もっと効率的に稼げたのだった。


まだ、ある。

 

編集の女性スタッフはデスクをコツンと蹴って言った。
「もう、いいよ!」

「いや、聞け! 最後まで」

普段は経済記事しか書いてないせいで、この手のものを取材すると、まるでひとが変わったようになるこの記事を担当したD記者。新しく入った女性デザイナーに、話しを聞かせたくてたまらない、とまらない。

 

 

 

 

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