米軍支援の名目でベトナムに出兵した韓国軍は現地の民間人を虐殺した。その数は推計1万人から3万人との報告がある。また、強姦事件も多発し、韓国兵と現地女性の間で生まれた子供(ライダイハン)が多数いる。
日本はベトナム戦争における真実を徹底して学術調査し、その結果を英訳して諸外国に提供する努力が求められる。
呉善花さん(オ・ソンファ)
1956年韓国済州島生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。現在、拓殖大学国際学部教授。『「反日韓国」の苦悩』(PHP研究所刊)、『朴槿恵の真実』、『侮日論』(いずれも文春新書)など著書多数。
20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けた
ベトナム人女性の証言
記者がたどり着いた結論は、
実は2014年に週刊ポストが記事を掲載していた。
中南部ビンディン省の省都・クイニョンにほど近い「ゴダイ集落」は、韓国兵の暴虐が最も苛烈を極めた地だ。1966年1月23日から2月26日にかけ、多数の民間人が殺され、ベトナム国内では〈ゴダイの大虐殺〉と呼ばれ、いまだ民族の悲劇として語り継がれている。
韓国軍の手による、もうひとつの名高い事件が「ハミの虐殺」。1968年2月25日、南ベトナムのクアンナム省ハミ村で、海兵隊第2旅団「青龍部隊」が女性、子供、老人も含む135人の村人を殺害した事件だ。
そのハミ村に青龍部隊OBを名乗る一行が訪れたのは2012年3月のことだった。村山氏が話す。
「2年前の訪問時に一行は現地ベトナム人にあるペーパーを渡しました。そこには『もっと早く来るべきだった。僕たちの胸深くに刻まれた懐かしさと残念な気持ちを、ここにある花崗岩に刻むべきだった』との一文がありました。真意は不明ですが、自分たちが犯した罪深い行為に対する悔悟の念とも読めます」
村山氏はライダイハン(韓国兵とベトナム人女性との間に生まれた子供。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国の蔑称)の家族からも貴重な証言を得ている。
ビンディン省に住むヴォー・ティ・マイ・ディンさんは15歳の時、同省クイニョンの韓国軍基地に就職した。150人ほどの韓国兵が駐留する施設の食堂でメイドとして働き始めてから5年後、20歳の時のことだった。いつものように仕事を終え、人気のない食堂で後片付けをしていた時だ。
「突然、複数の韓国兵士が背後から襲いかかり、彼女をテーブルの下に引きずり込んだそうです。その後、4、5人の兵士が次々と彼女を蹂躙した。『韓国兵のことは思い出したくない』と彼女は口を閉ざし、これ以上は話してくれませんでしたが、この時の輪姦によって彼女は男の子を身ごもり、息子は現在43歳になるということでした」(2014年当時)
調査すべき現場はビンディン省
ここに韓国軍の拠点があった
another report
私は60歳。現在ベトナムのザライ省で暮らしているわ。当時、韓国軍がベトナム戦争でここベトナムにやってきたとき、私はビンディン省に住んでいたわ。
ビンディン省では、ごみ捨て場の近くに住んでいて、私の家族は、小さなお店でココナッツやバナナ、飲み物などを売って生活していたの。
韓国軍の拠点は、私の家から近く、韓国軍がそのゴミ捨て場にごみを捨てに来るとき、私のお店に飲み物を買いに立ち寄ったわ。
そう、韓国軍の拠点はフーカットという場所にあったの。現在そこにはフーカット空港があるわ。
韓国軍はフーカットの拠点をTiger division(青龍部隊と同意)というような呼び方をしていたわ。
韓国軍が私のお店にやってきたとき私は14歳とか15歳くらいだった。で、私は母がその韓国兵士にレイプされるところを見たの。
それがキッカケで、母と父の仲は悪くなり、父は結局、母を捨てたわ。
母にレイプした韓国兵士も、すでに韓国は帰ってしまってね。1969年に私に弟ができてしまったわ。そう、そのレイプによってできた赤ちゃんよ。
その後、私もレイプをされたわ。あのころとても若くて何もわからなかった。いつものように韓国軍の兵士が私のお店にやってきて、そのときちょうど母がどこかに行ってしまっていたの。おそらく市場に買い物に行っていた時だったと思うけれど。
で、私はその兵士に部屋まで連れていかれたわ。で、彼は私をレイプして、それ以降私の目の前に現れることはもうなかったわ。
あの頃の私はあまりに幼すぎて、どうやって彼を探したらいいのか、どうやって彼を訴えたらいいのか、誰にこの問題に対して相談すればいいのか全く分からなかった。だから、運命だと自分に言い聞かせたの。戦時中のことだったし、真実を受け入れざるを得なかった。
だから過去を振り返ったりしないようにしていたわ。けどね、今になったら、もう怒りという言葉しかでてこないの。
その兵士が私の人生を惨めなものにしたし、私はそれで赤ちゃんまでできてしまった。
私の赤ちゃんをみて、多くの人たちが聞いてきたわ。アンタ、韓国人と結婚したの?って。もちろん私がレイプされたなんて誰も知らない。ずっと隠してきたから。
で、1975年に南北ベトナムが統一されたわ。そして、私の母はその年の8月に死んでしまった。喘息でね。当時、薬を買うお金もなく、死んでしまったの。しかも、戦時中、薬剤師は逃げてしまっていたし、もちろんそのせいで薬局も営業していなかったの。
韓国内の人権擁護派の人たちも立ち上がる
韓国の人権派弁護士や研究者、市民活動家らでつくる「市民平和法廷準備委員会」は昨年の11月21日、ベトナム戦争に参戦した韓国軍がベトナムの民間人を虐殺した事件を巡る「市民平和法廷」を来年4月に開くと発表した。
事件の被害者や遺族を原告、韓国政府を被告とし、国家の責任を問うとしている。 韓国は南ベトナム支援のため1964年から73年までベトナム戦争に参戦した。同委によると、韓国軍は68年、中部クアンナム省フォンニ・フォンニャット村で民間人74人を殺害。同省ハミ村では135人を殺害。米軍の調査報告書などの証拠が比較的そろっており、生存する目撃者も多いとして、この2件を中心に扱う。
韓国政府はこれまで、ベトナム戦争で韓国軍による民間人への加害についての立場を表明していない。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は6月、国家に貢献した人を追悼する記念日「顕忠日」の式典で「ベトナム参戦勇士の献身と犠牲によって祖国の経済が息を吹き返した」と発言。ベトナム政府が抗議したことがある。
ベトナム戦争への参戦の是非を巡っては保守派と進歩勢力とで意見が分かれている。「市民平和法廷」の開催は保守派の反発を呼びそうだ。
われわれも立ち上がらなければ前へ進まない。
調べなければならない事実
1966年 ベトナムにおける大虐殺の85%は、この年に集中している。
韓国軍は、新たに設営した基地周囲の村が敵の隠れ家にならない様にする為に、村人全員を収容所出る戦略村に移送しようとした。
村人は、戦略村に移る事を拒否した。
韓国軍は、強制移住させる時間と手間を省くべく、合理的処置として命令に従わない村人を虐殺。
もし、村人が戦略村への移動命令に従っていれば虐殺は起きなかった。
在越韓国軍は総兵力4万5,000人で、主任務は農村部でのベトコン(南ベトナム解放戦線)の掃討作戦と都市・交通の防衛であった。
韓国軍の命令は、「全て焼き、全て壊し、全て殺す」という伝統的三光作戦であった。
拠点防衛とは、その地域の農村を無人化する事。
アメリカ軍は、一様は人道に配慮し、掃蕩する農村に対して航空機で退去命令のビラを撒いてから軍隊を投入した。
韓国軍は、予告なく、ゲリラの拠点と決め付けた農村を包囲し、住民をげられないように押し込め、砲撃を加えた後に突入して村人全員を虐殺した。女子供や老人全てを、ゲリラとして皆殺しにした。
軍と行動を共にする民間の韓国人は、命からがら逃げだしてきた少女を捕まえ、強姦し強制連行してアメリカ兵や韓国兵を相手に強制売春を強いた。
韓国軍上級将校は、気に入ったベトナム人少女数人を、接収した豪邸に囲って享楽に耽っていた。
ベトナム人慰安婦は、身体を売って15分で5ドルを稼いだが、韓国人経営者に2ドルをとられ3ドルしか貰えず、不満を漏らせば殴る蹴るの半殺しの暴行を受け、従わず反抗すれば殺された。
病気をしても治療を受けられず、働けなくなったら捨てられた。
ベトナム人慰安婦には、居住の自由も、外出の自由も、廃業の自由も、拒否の自由もなかった。
韓国軍は、大金を稼ぐ為に韓国人業者と組んで管理売春を行い、激戦地の韓国軍やアメリカ軍の主要基地内に性的慰安所を設営して、多くのベトナム人女性を性奴隷として送り込んでいた。
この裏付け調査がカギです。
解説
ベトナム戦争に派兵された韓国軍兵士がベトナム女性を性的暴行するなどして「ライダイハン」と呼ばれる混血児が生まれた問題で「暴行の犠牲者になった人たちを救おう」と、英国の民間団体「ライダイハンのための正義」が昨年9月12日、正式に設立された。
団体の設立を呼びかけたのは、英国の市民活動家、ピーター・キャロル氏。同氏は「ベトナムで韓国軍兵士の性的暴行に遭った女性たちが苛酷な人生を送っていることを多くの人たちに知ってほしい」と訴えた。
ロンドン市内で開かれた設立イベントにはブレア、ブラウン両政権下で司法相や外相などを務めた労働党の重鎮、ジャック・ストロー氏も参加。同氏は基調講演の中で、「ベトナムで韓国兵が行った性的暴行は重大な人権問題だ。被害女性が求めているのは賠償ではなく謝罪。韓国政府は女性たちに謝罪すべきだ。人権重視の英国から被害実態を調査することを国際社会に求めたい」と述べた。
一方、同団体のメンバーで英国人フリージャーナリスト、シャロン・ヘンドリーさんは、ライダイハンを育てたというベトナム女性7人から被害実態を聞いた。韓国兵は多くのベトナム女性に性的暴行を加えたり、慰安婦として強制的に慰安所で働かせていたりしたと指摘した。
その上で、ヘンドリーさんは「人間として恥ずべき行為がベトナムで行われた。国際社会が被害女性と子供たちを救うため立ち上がるべきだ」と話した。事実関係究明のため、英国議会に調査委員会設置を求める考えも表明した。
同団体のメンバーで、設立イベントに参加した英国人彫刻家、レベッカ・ホーキンスさんは被害女性とその子供たちのために制作した約40センチの「ライダイハン像」を披露。同団体では等身大のライダイハン像を制作し、在ベトナム韓国大使館前などに設置し世論喚起することを検討している。
同団体によると、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領はのべ約30万人以上の韓国兵をベトナムに派兵。韓国兵は13、14歳の少女を含むベトナム女性数千人に対し性的暴行を行い、その結果生まれたライダイハンは5千~3万人いるとされるが正確な人数は明らかでない。
ライダイハンの父親は、韓国兵のほか韓国の建設会社などから派遣された民間人や軍属の韓国人男性らだ。1973年に結ばれたパリ和平協定による韓国軍撤退などで韓国人男性らは帰国し、ライダイハンは置き去りにされた。
75年にベトナム戦争が終結した後、南ベトナム政府の崩壊により、共産党政権下でライダイハンは「敵国の子」として迫害され、差別されてきたという。