産業革命第15話
消え去る百貨店、フィルムカメラの名機、カメラ博覧会
CANONのオールドレンズ50㍉、F1・4を手に入れた。ここから見える世界はどんなだろうと想い、心がわくわくした。これを機会に同時代に製造されたF1ボディーを探した。
それから1年が経過、同じ街(名古屋)でCANON new F-1を見つけた。
大須商店街で撮影し現像してみたら驚く絵が撮れていた。
ボーディーが1万1000円、レンズが3000円、フィルムに至っては24枚、250円のフジ業務用フィルム。
なのに、なんとムードがある写真。
みなさんも是非、試してみてください。
フィルムカメラがなくならないうちに。
名機とはこのことを言うのではないだろうか。
わたしは旅行中に立ち寄った街で、これを買ったのだ。丸栄という百貨店で「世界のカメラ大博覧会」という催し市をやっていた。
実は名古屋を象徴するギャルの聖地で、おばさんの憩いの場「百貨店丸栄」はなくなる運命にある。
百貨店が最後なら、カメラ大博覧会も最後の開催だった。
8階の大催しもの会場では最後でも、また、カメラ大博覧会は開催してほしい。
コゴーカメラさんにはお世話になった。
f1.4 50mm 2本
f3.5 35-70mm
f3.5 35-105mm
f3.5 28mm
の計5本もレンズを買ってしまった。
なぜ、50mが2本かといえば、このレンズが描写する雰囲気が良かったからだ。動画を撮れば映画のようなレトロな映像が撮れそう。
おまけにワインダーまで2本、手をだしてしまった。
ひとつはnew F-1用、もうひとつはコンタックス。これはSONYのRX100につけてあまりに小さいボディーの水平を保つため。つまり、小さいボディーは揺れに弱くて、それをホールドするのはワインダーが最適。
f1.4 50mm
この旅で見つけたF1・4は、玉がほんとうに美しい。向こう側がクリアに透けて見えた。明るい。
わたしに「買って」とささやいた。まるで、バンコクのソイカウボーイの娘たちのよう。想いだした名前が「ブラック・パール」。美しい球面レンズの表面コーティング。今の1・4に比べ、造りがしっかりしている。レンズに必要な堅牢性を備えている。メタルダイヤルがカクカクと動き、しっかり情報を伝える。そして、一番大切な、焦点を合わせる合焦ダイヤルがゆっくり、しっかり回転する。
今の、行過ぎた軽い1・4を大きくリードしている。これには驚いた。レンズは、現在のEOSレンズのEFレンズの同じ、50㍉、F1.4を使ったことがあったが、あのチープなF1.8とほとんど代わらないので、すぐ使わなくなり、手放した。
私は動画を制作するので、今のCANONの軽いレンズ、重さでは必要以上に重いくせに、操作性がアホのように軽く、簡単に行過ぎてしまい、どうしたものかと考え込んでいたのだ。
あれほど、軽量で高速の合焦を追った結果できた重・軽薄・チープレンズ群。ところが、世界が一眼カメラが動画に向かったとたん、これが、逆の結果を招いた。
オールドキャノンレンズは「動画に向いているのでは」と直感が働いた。
私は仕事ではEOSの5D マーク?を使っている。持っていて嬉しいカメラではない。特に海外に行ったときには気を使う、嫌になる。街中で風景を撮影しようとすると、ひったくりの標的になる。特に三脚で動画でも撮ろうものなら、襲ってくださいと宣伝するようなものだ。映像に集中している姿は隙だらけ。
買ったフィルム式のnew F-1のボディーは機械式で、その精緻な機構に驚かされた。1980年代の日本のカメラ技術者は世代を超えて優秀だったのだ。私がそう実感したのは、電気系統がすべて使えなくてもメカニカルシャッターが切れ、仕事に支障がないほど精巧に稼動する!
これはありがたい。実はデジタルカメラをある程度使い込んだひとなら知っているが、露出計がなくても、シャッタースピードと絞りの関係を理解してさえいれば、画像がフィルムに浸み込むのだ。
寒い札幌の冬、アンカレッジ、都市のなかでも雪が積もれば、今のデジタルカメラは何もできなくなる。これにはつくづくまいってしまう。
つまり、この40年の間に、カメラは進化したのか? もしかしたら誤った方向へ行ってしまったのではないかと、考えてしまう。
f3.5 35-105mm これもフィルム式カメラで撮影
この原稿は朝日新聞社のすぐ下にできたサークルKサンクスのカフェで書いている。40年進んだ道はほんとうに正しかったのか?
レンズの質はあきらかに40年前の方が作りがいい。それに頑丈さにしても、ボディー、レンズともオールドカメラに軍配が挙がる。
そして、いよいよ性能。動画こそフィルム式カメラでは撮れないが、一枚の「渾身の想いをこめた画像」では、どうなんだろう?
35年の時を生き抜いてわたしの手に渡ってきた、機械式の美人をわたしはこれから、名器のバイオリンのように奏でることができるだろうか?
この雑記はニュース記事でも、リサーチ、エッセイでもない。コラムでもない。だが、ここから見えてくる世界はわれわれの歪んだ世界が見えるのではないか。
45年前、1973年ごろ、高度経済成長に乗った時代のキャノンの技術者はどんな思いを込めてこんな重厚なカメラとレンズを制作したのだろう?
時を超えて使ってみると、その想いが伝わってくる。文字どおり、世界ナンバーワンに踊りでようとした凄みを感じることになった。
フジフィルムも凄い
写真はf1・4 50mm 撮ろう思った物体の前後が美しくぼけているのがおわかりいただけるだろうか? 写真(最上段)
すべて40年前の機械。それも業務用フィルム。FUJIフィルムの凄さも書いておかなけらばならない。
終章
デジタルカメラ自体のマーケットが大幅に縮小してきた。
それがスマートフォンに飲み込まれる!
そんな、世界がもうそこに迫っている。逆にフィルムカメラの方が希少価値とアナログ特性から、使い道が拓けるかも知れないのだ。
現在、手に入れてるカメラとレンズを大切に保存して、使える個体を維持しよう。
この記事は、本になっています。
制作と同時に海外の知人たちから引き合いがあり、1冊しか現存しません。
データ本をこのページにアップする予定です。気長に待っていただければ、いつの日にかepub本がこの画面に装着されているはずです。
それでは
アルデビッラッ!