大英帝国の落日
EU(欧州連合)からの離脱を求め、国民投票で勝利したイギリスに激震が走っている。EUからの離脱を求めるひとたちは、「イギリスの主権を取り戻したい。欧州連合に追従していては、治安と雇用さえ守れない」というのが国民投票の趣旨だった。
ところがこの問題は、大英帝国の根幹を揺さぶる”パンドラの箱”を開けてしまったのだ。北アイルランドとスコットランドが再び自由を取り戻し、自分たちもイギリスから主権を取り戻したいと考えていたからだ。
北アイルランドは「EUにとどまりたい」が55.8%を占めた。そして、彼が望むのは隣国「アイルランド」との併合である。これがもし実現すれば、イングランド、スコットランド、アイルランド3国は、まるでバルト3国のような小国に逆戻りする。
スコットランドのEU残留支持率は62・0%に達していた。イギリスの北部を占め、面積で1/3を占めるが気候が厳しいため人口は530万人しかいない。イギリス国民の10%しかない少数民族となっている。
1707年までイングランドと覇権を争い、血で血を洗う生臭い闘いを繰り返してきた。スコットランド人が決して忘れられない事件は1587年2月8日の美貌のスコットランド女王メアリーの公開斬首刑である。
この時代のスコットランド人はイングランドに蹂躙されるぐらいならフランス王太子フランソワにメアリー王女を嫁がせて、連合を結ぶ道を選んだほど憎しみを抱いていた。残念ながらフランス王太子フランソワは若くして病死。スコットランドはフランス王国の後ろ盾を失ったのだ。
フランソワはメアリーが16才になったとき、フランス王を戴冠し、メアリーは名実ともにフランス王妃・スコットランド女王を戴冠した。それはスコットランドの人々が心から待ち望んだ栄光の未来だった。
実際にはスコットランド女王は、謀反の容疑でイングランド軍に収監され、首をはねられている。その首謀者たちの残忍極まる公開処刑セレモニーは今も語りつがれる。
容疑は「イングランド女王エリザベスを殺害せんと企てた」というものだった。斬頭台にのぼったメアリーは静かに手足を伸ばし、「わが終わりこそ、わが始めなり。主よ。御元にまいります」と、繰り返し唱えた。ブッチャー(処刑人)は2度、斧をふりおろした。
それでもわずかに首はつながっていた。そして、3度目で切り離された。メアリーの首は切り離されても、唇は動き、15分も震え続けた。
「わが終わりこそ、わが始まりなり」。
イングランドへ反旗を翻したスコットランド人への処刑はもっと残忍を極めた。スコットランド人貴族のバリントンは陰部を切断され、それを見えるように前かがみにさせ、ブッチャーが腹を切り裂き、内臓をひだすところを見た。さらに生きながら首を含めた四肢を5つ裂きする方向に馬が走ったのである。スコットランド人の貴族たちの仲間6人が次々に処刑され、ロンドン中の鐘が鳴り響いた。
スコットランド自治政府のスタージョン首席大臣(スコットランド民族党)はイングランド離脱を念頭に住民投票を実施する方針を固めた。
アイルランドについては、すでに書いているので合わせて読んで下さい。現在、素数の謎 解明への航海の第2部、宇宙の暗号の取材で起源前1世紀に誕生した宇宙カレンダー、アンティキティラを制作した人物、ヒッパルコスの周辺を調べています。しかし、そこでわかったことは人類が約10世紀も失ってしまった学問の積み重ねでした。アンティキティラに隠されていたのは、内燃機関を起源前に誕生させることができた驚異的な技術です。古代ギリシャに受け継がれたバビロニア数学、天文学、そして総合科学技術です。イギリスがまたしても、400年の歴史を失いそうですが、それはまた別の話なので、ここで終わりにします。