ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

絶命境界線Trilogy 最先端科学が紡ぎだす真実の物語

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モスクワより

2013年2月、巨大な隕石群がロシア上空を見舞った。隕石は10の町で500人近いけが人をだしている。最終的には1000人に修正された。

 隕石が落下したのは、現地時間の2月15日午前9時20分ごろで、場所はモスクワの東、西シベリアのウラル山脈付近やチェリャビンスク州のサトカなど10の町。チェリャビンスクは鉱山開発の街で今は州都である。交通の要衝地にあり、シベリア鉄道の基点でもある。鉄鋼会社、大学が2つ、テクノパーク、それにホテルなどがある。

 

ロシア内務省によると、隕石の落下直後、破片とみられる物体は、町にある工場や学校を直撃して、住民474人がけがをして、そのうち14人が入院したという。これまでのところ、死者は確認されていない。

被害の情報などから、ロシアの一部の専門家は、この隕石は直径数10メートル、重さ数10トンに達するとの見方を示しており、地元警察などが調査を進めている。

 

衝撃はメディアで伝わらない

しかし、実際の映像はもっと生々しい。チェリャビンスクの街に据えられた地元のカメラ映像によると、火の玉になった流星が、それこそ真昼よりもっと明るい輝度を放ち街を照らした。それを追ってジェット戦闘機50機が襲来したかのような凄まじいジェット音が追いかけてきた。この間2分30秒。

地元のウラル南大学構内のキャンパスでは授業が始まろうとしていた。そして、驚愕のジェット衝撃が突き抜け、廊下を移動していた学生はその衝撃であおむけにひっくりかえった。広大なキャンパスの建物の一部は窓ガラスが破壊され砕け落ちた。

校舎から飛び出した学生が口々に叫ぶ。

「何があったんだ?」

「何か飛んでいった痕跡がある」

「流れ星だ!」

「あそこで窓ガラスが墜ちている!」

学生たちはスマートフォンを握り興奮した面持ちで表情がこわばっている。視線の先には、切り裂いたような雲の痕跡が空に浮かんでいた。

 

実に街の3300棟ものガラス破損事故がでた。そのジェット衝撃で最終的には1000人がけが人をしたことがわかった。衝撃は広島に投下された原爆の30倍の威力をもつ500キロトン(TNT火薬換算)。上空15-25キロで爆発した。

注)隕石衝突のデータは発表時から次々と塗り替えられるので注意。

 

NASAの調査によると、直径17m、1トンの小惑星が秒速18㌔のスピードで大気圏に突入したという。墜落はチェバリクリ湖の水深12mの湖底から570キロの隕石が引き上げられた。湖はチェリャビンスクの西約80キロにあり、この湖に19.5度という低角度で墜落した。しかし、最大の隕石はまだ見つかっていないようだ。雪が深いため湖の西と東に落下しているはずだ。

 

これと同じことが実はロシアでも起こっている、チェルノブイリ原発事故でその後の調査で放射線被曝でガンでよる死傷者が5000人を突破した。しかし、これほど天然資源に恵まれていながら、チェルノブイリ原発は稼動再開に踏み切ったのである。

まるで、これをあざ笑うかのような隕石衝突である。

 

 

 

 

海洋衝突が疑われるケース

ニュージーランド  

西暦1200年ごろ  タバスイクレーター群 マオリ族によれば巨鳥モアはこれにより絶滅。マオリ族の伝承は「火球がモアの棲む森に落ちてきた」というもので、南島にタバヌイクレーター郡が発見された。年代測定はぴたりと一致した。そして、大規模火災も真実だった。 

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西暦1194年  黄河が大反乱北宋の首都開封が壊滅、河口が160キロ南に移動した

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西暦1200年ごろ ペルーのランバイェケのピラミッド文明が消滅→インカ帝国アンデス高地山岳地帯へ出現

   ↓

中米ー南米1万㌔ 高地文明出現の謎

ジャングルに忽然と現れるマヤ最大の遺跡「ティカル遺跡」は、紀元前300年から紀元800年頃までの間に約4,000もの建造物が建てられた。

 

マヤ文明がなぜ滅びたのかは未だに解明されていない。西暦850年を境界に居城が使われた痕跡が消え去っていた。しかし、12世紀になって突如、インカ文明が出現したのかは、わかり始めている。インカを築いたのは、それより前に海辺に住んでいたプレインカ文明を築いたひとたちだった。彼らが11世紀に突如、海辺を捨てて山へ移っていた。去った時期は明らかになっていない。

だが、注目すべきは、そこに住んでいただろうはずの90%-99%の人が行方不明になっていることだ。

 

「どうして、いなくなったかは知らないわ。きっと病気か地震津波で離れるしかなかったのよ」と彼女。

 メキシコの旅行代理店で知り合ったメスティーソのマルハは、メガネを外すと美しい緑色の瞳をしていた。わたしがここで何を調べているのか、そして、どんなところに行きたいのか、家族はどうしているかとかメモしながら、まるでこちらが取材されているようだった。

あけっぴろげな性格には驚いたが、陽気で隠し立てがなく、ひとの世話が好きでそれは、ひとことでは言い表せない。わたしのカメラ機材や財布の在りか、洗濯ものまで気にしてくれる。みながマルハと呼んでいたので、わからなかったがマリアの愛称がマルハだった。ハムのようにパンパンで肉付きがいいグラマラスな娘だ。

この街のホテルのカフェテリア。わたしはマチュピチュから帰って、彼女に海辺の遺跡での通訳を頼んだときのことだ。