ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

ミャンマー 情報省職員 公務員 警察隊員も不服従100人以上が 軍政府にノーを突きつける

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ミャンマー 情報省職員 公務員 警察隊員も不服従100人以上が 軍政府にノーを突きつける

2021/03/08 10:47

少女の死が国民を動かす!


 ミャンマーでは4週間にわたって続く大規模な抗議デモに対して警察などが発砲を繰り返し、国連ではこれまでの死者は50人以上に上るとしているうえ、5日も第2の都市マンダレーで20代の男性が撃たれて死亡したと地元メディアが伝えている。


警察隊に不服従運動100人以上が

一方で、軍が主導する政権を機能停止に追い込もうと、警察官の間でも職務を放棄する「不服従運動」が広がり始め、これまでに100人以上が参加している。

このうち、首都ネピドーの警察署に所属するチット・コー・コーさんはデモ隊への暴力に加担したくなかったとしたうえで、「平和的にデモをする人たちへの暴力や発砲の指示を軍がやめることは決してない」と話す。

また、同じ警察署に所属するネイ・リン・アウンさんは「軍の兵士たちは警察の制服を着て警察の名をかたって残忍な行為に及んでいる」と訴えった。

一方、インドの地方政府の当局者によると、今月3日と4日の2日間で少なくとも30人のミャンマー人が国境を越えて入国し、保護を求めたという。

いずれも警察官やその家族だと説明していて、インドのメディアは軍の命令に従わなかったことへの報復を恐れ逃亡したと伝えている。

軍は不服従運動の広がりに神経をとがらせ、運動を呼びかけている人物の特定や拘束を進めているが、こうした締めつけの中でも抵抗が続く。


マンダレーでは大学と病院が軍に摂取

 マンダレー地域のバガン住民からのビデオは、日曜日の朝に抗議者に対して、兵士と警察が武力による制圧を行っており、犠牲者がさらに増え続けていた。

 一連の取り締まりにもかかわらず、日曜日に数万人のマンダレー住民が政権に反対するために集まっていた。目撃者によると、90人以上が拘留され、数人が負傷した。
しかし、これまでの市民からの話によると、拘束者の数割りは死体となって発見されるという。

情報筋によると、兵士たちは日曜日の朝に2つの公立病院と5つの大学に配備された。
各都市の主要な大規模な病院、そして大学が制圧され、抗議デモの拠点と負傷者の看護がそのまま収監へと塗り替えられている。

公務員は政権のために働くことを拒否し始めた。きっかけは軍の市民への殺戮で、少女たちの死を契機に運動がさらに大きくなっていた。

つまり、政府の一部の機能は停止しかけている。

2月初旬に大規模な抗議行動が始まって以来、50人以上が殺害され、約1,757人が拘留された。
しかし、未確認な情報では死者はとっくに100人を超えているという。


中国の存在がミャンマー国民を死に

2月初旬に大規模な抗議行動が始まって以来、 50人が死亡し、1,400人以上が依然として拘留されています。 取り締まりを幅広い国際的非難を促したにもかかわらず、金曜日の国連安全保障理事会でのミャンマーに関する非公開会合は、暴力への対応に同意しなかった。 


公務員、情報省職員も働く事を拒否

中国の国連大使である張潤氏は、国際社会は「ミャンマーの主権を尊重することを前提に」行動すべきだと述べた。 軍によって殺された少なくとも28人の抗議者 115情報省職員が軍事政権下で働くことを拒否した。

ミャンマー少数民族ロヒンギャの殺戮を指揮した軍事政権トップの存在に、ミャンマー国民はノーを突きつけている。自国民の殺戮を躊躇なく命令する軍事政権を国際社会はいつまで見ているのだろうか?


写真はマンダレー

ヤンゴン市民からの報告 死者はすでに100人以上 街は一部瓦礫と化す ミャンマー軍 インド亡命30人の引き渡しを要求

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 ヤンゴン在住のミャンマー人市民からの報告によると、軍警察隊との衝突で報道を上回る死者が確認されており、死者は100人以上にのぼるという。



Food Pandaの配達員が警察隊に射殺された。

彼は警察隊に拘束された女性を助けようとしたところ、警察隊に額を撃ち抜かれた。


ヤンゴン市内では街の繁華街から離れた閑静なところまで、放火により、ビルや商店街などが瓦礫になっている映像が送られてきた。


報道機関も緊迫した状況に入る事が出来ないため、市民からの投稿が報道の先を伝えていた。



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U Khin Maung Latt, 58, a (NLD)’s ward chairman in Panbedan township in downtown Yangon has died of being tortured after police and soldiers took him away from his home during last night's raid, according to the NLD


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ミャンマー軍、インド逃亡警官隊の引き渡し求める! 家族含め30人規模


インド政府はミャンマー警察隊からの亡命希望者一時的に受け入れたが、ミャンマー軍政府より、引渡しを求める書簡が送られたことを明らかにした。

それによると、インドに逃れたミャンマー警察隊のメンバーは家族連れで30人規模という。






#WhatIsHappeningInMyanmar #SaveMyanmar #RejectMilitaryCoup #HearTheVoiceOfMyanmar

#March3Coup #RejectMilitaryCoup


Myanmar Armed Forces that they could not obey

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မြန်မာ၊ ရဲအရာရှိ ၁၉ ဦး သည်အိန္ဒိယသို့ထွက်ပြေးခဲ့ပြီးလက်နက်ကိုင်တပ်ဖွဲ့များ၏အမိန့်ကိုငြင်းဆန်ခဲ့သည်

2021/03/07 10:53

မြန်မာပြည်သူများအတွက်ရဲစွမ်းသတ္တိ။ မြန်မာ၊ ရဲအရာရှိ ၁၉ ဦး သည်အိန္ဒိယသို့ထွက်ပြေးခဲ့ပြီးလက်နက်ကိုင်တပ်ဖွဲ့များ၏အမိန့်ကိုငြင်းဆန်ခဲ့သည် အိန္ဒိယရဲတပ်ဖွဲ့မှအရာရှိများက ၄ ရက်မြောက်နေ့တွင်မြန်မာရဲအရာရှိ ၁၉ ဦး သည်လက်နက်ကိုင်တပ်ဖွဲ့များ၏အမိန့်ကိုနာခံရန်ငြင်းဆန်ခဲ့ပြီးနယ်စပ်ကိုဖြတ်ကျော်။ အိန္ဒိယသို့ထွက်ပြေးခဲ့သည်။ ထွက်ပြေးလာသူများထပ်မံတိုးမြှင့်ဖို့မျှော်လင့်ရသည်။ ၎င်းတို့အနက်သုံး ဦး သည်အိန္ဒိယနိုင်ငံအရှေ့မြောက်ပိုင်း Banglaipai၊ မီဇိုရမ်၊ အိန္ဒိယအရှေ့မြောက်ပိုင်းမွန်းလွဲ ၃ နာရီခန့်တွင်နယ်စပ်ကိုဖြတ်ကျော်ပြီးဒေသဆိုင်ရာအာဏာပိုင်များကသူတို့၏ကျန်းမာရေးကိုစုံစမ်းနေကြသည်။ ရဲအရာရှိများကမြန်မာစစ်တပ်မှအမိန့်ကိုနားမထောင်သောကြောင့်သူတို့ထွက်ပြေးခဲ့ရသည်ဟုဆိုသည်


Courage to the people of Myanmar! Myanmar, 19 police officers flee to India, refusing orders from the armed forces Indian police officials said on the 4th that 19 Myanmar police officers refused to obey the orders of the armed forces and crossed the border and fled to India. The number of fugitives is expected to increase further. Three of them crossed the border near Northeast Banglaipai, Mizoram, northeastern India on the afternoon of the 3rd, and local officials are investigating their health. Police officers say they have fled because they received an order from the Myanmar Armed Forces that they could not obey.


インドの警察当局者は4日、ミャンマーの警官19人が国軍の命令に従うのを拒否して国境を越え、インドへ逃亡したと明らかにした。逃亡者はさらに増える見込みだ。
このうち3人は3日午後にインド北東部ミゾラム州ノースバンライパイ近くの国境を越え、地元の当局者が健康状態を調査している。

警官らはミャンマー国軍から従うことができない命令を受けたため、逃亡したと話しているという。




#SaveMyanmar     #WeNeedJustice 




ミャンマーの少女 死を覚悟してデモへ 生命を散らす

ミャンマー マンダレー民主化運動 虐殺?

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死を覚悟してデモへ

血液型、遺体のドナーのサイン

生命を賭けて戦っていた

女子学生たち


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 マンダレー 死者2人の内の1人、19歳の女子。

首をミャンマー国軍兵士に撃ち抜かれ殺害された。


ミャンマー生まれの華僑で、中国名は(邓家希)。




 腕に自分の血液型と連絡先を書き、死を覚悟で抗議デモに加わっていた。



 射殺されたマチャルシンさんは血液型「B+」と書いたカードと、「普通の体に戻れないほどの状態であれば救命しないでください。

(臓器などの)体は必要な人に寄付します。感謝と共に」と書いたカードを首から下げていた。



調べると、


3月3日、第2の都市マンダレーで、彼女は19才のテコンドー教師。

マチャルシンさんが頭部を撃ち抜かれ死亡し、ヤンゴンでは国際空港近くの地区で10人が射殺されていた。


3日夜、マチャルシンさんが生前に撮影した、切ない恋を歌ったミュージックビデオがフェイスブックに投稿されていた。


一人娘だった。





少女たちはデモの先頭に立つ理由


 首都ネピドーの医師によると、9日のデモで治安部隊の銃撃を受けて頭部を負傷し、重体となっていた女性ミャ・トゥエ・トゥエ・カインさん(20)が19日、死亡した。

クーデター後のデモで死者は初めて。銃弾はヘルメットを貫通。


医師によると実弾が使用されており、治安部隊への国民の反発は一段と強まるとみられる。


4日、さらに銃撃を受けて39人が死亡。犠牲者が増え続ける。


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写真(最上段)

彼女は天を仰いでいた。

国連は何人市民が死ねば動くのか?

彼女たちは後戻りしない





追悼

彼女はテコンドーの師範でシンガーでもあった。

その歌が世界に配信されたは、悲しいかな彼女の死後だった。

タイトル 「No Reason」


https://www.youtube.com/watch?v=9tB3XPoWCBo




ヤンゴンの最も長い夜 シャングリラホテルはクーデターの日を知っていた❣️

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2021/02/14 10:23

ヤンゴンの最も長い一夜 ドキュメンタリー


 シャングリラの名前は桃源郷を指す。わたしはここがくつろぐのだ。

この美しく格調高いロビー。

ヤンゴンで最も知られる5つ星ホテル「シャングリラ」。

ミャンマーのあらゆる政財界、軍部の要人が利用し情報が集まる要の様な存在。

ジャーナリストなら、派遣先のホテルがどの程度の要人が集まるのかを見極めてから投宿を考える。

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うっかり爆破されたらたまったものではない😂


2月1日未明、ミャンマー国軍によりクーデターが起こった!


 シャングリラホテルは、2月1日からほぼ1年間、閉鎖すると発表した。


香港を拠点とするシャングリ・ラ・グループは、ミャンマー最大の都市ヤンゴンにある『スーレ・シャングリ・ラ・ホテル(Sule Shangri-La Hotel)』が新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で2月1日から少なくとも9ヶ月間閉鎖することを発表した。


2月1日から少なくとも9ヶ月間閉鎖することを発表した。

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シャングリ・ラ・グループが発表した声明では、
「残念ながらビジネスレベルの低迷が長引いたため、他のすべての実行可能なオプションを検討した後、2月1日からヤンゴンのスーレ・シャングリ・ラを一時的に閉鎖することを決定した」
と述べられている。

ミャンマーでは2020年3月23日に初めてCOVID-19の症例が確認されて以降、商業用の国際便の運航が停止されている。

同国に2,000以上あるホテルのうち、COVID-19の影響ですでに1,000以上のホテルが閉鎖に追い込まれた。

ミャンマー・ホテル観光省によると、2020年12月末までに3万人近くのホテルスタッフが職を失ったという。

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順調だったがホテル経営が急落
スーレ・シャングリ・ラ・ホテルはヤンゴンの中心地に位置し、ショップや観光名所、ビジネス地区まで徒歩圏内にあるため人気が高い。ミャンマーのホテルの中で最大規模を誇り、客室は約470室ある。

1996年に国際的なイメージを高めようと22階建ての『トレーダーズ・ホテル(Traders Hotel)』をダウンタウンのランドマークとしてオープン。2014年には“シャングリ・ラ”ブランドの一部として豪華なイメージチェンジが行われ、稼働率が上昇した。

しかし、COVID-19のパンデミックにより収益が急落したという。

なお、同ホテルスタッフの多くは長期休暇扱いとなるが、給与の一部が支払われる。


2月1日未明


ミャンマー国軍が軍事クーデターで政権を掌握したことを受け、欧米を中心に非難の声明が相次いだ。国軍に拘束されたアウン・サン・スー・チー国家顧問の支持者はソーシャルメディアで怒りの声を上げた。
国軍は1日未明に、与党・国民民主連盟(NLD)を率いるスー・チー氏やウィン・ミン大統領などを拘束。「選挙の不正」を根拠に、ミン・アウン・フライン国軍司令官が国家権限を掌握したとし、1年間の非常事態宣言を全土に発令した。

キューバ🇨🇺ハバナでもホテルが一番の情報収集場所だった。

革命やクーデターがある時、最も情報が集まるのが、最上級のホテル。

シャングリラはうっかり、それを証明するどころか、プレス発表してしまった❗️

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爆破事件をホテルは経験していた


7年前の10月

ミャンマーの最大都市ヤンゴン(Yangon)にある高級ホテル客室で起きた14日夜の爆発事件について、ミャンマーの警察当局は15日、爆発が仕掛けられた爆発物によるものと断定した。ヤンゴン中心部にある「トレーダーズホテル(Traders Hotel)」の客室で起きた14日夜の爆発では、室内にいた米国人女性が負傷している。

このホテルがシャングリラなのだ。

 現場検証の結果、使われた爆発物は時限爆弾だったことが明らかになった。警察当局は15日朝、前日に同じ客室を利用していた男の身柄を南東部モン(Mon)州で拘束し、事情聴取を行っている。ただし、爆弾を仕掛けた人物として断定するには時期尚早だという。

 トレーダーズホテルでの爆発事件に先立ち、ミャンマーでは同様の事件が立て続けに発生している。

 首都ネピドー(Naypyidaw)から約65キロ離れたタウングー(Taunggu)のゲストハウスでは11日、爆弾の爆発で2人が死亡、1人が負傷した。またヤンゴンでも13日、別々の場所で2つの爆弾が爆発し、2人が負傷している。さらに14日には、同市とマンダレー(Mandalay)で手製の爆発物2つが発見されている。

ミャンマー当局は、これまでに容疑者2人の身柄が拘束されている一連の事件について、同国政府が進めている民主化移行プロセスの阻害を意図したものとみている。


モン州、モン族の名前が浮かび上がった



閉鎖するのが当然の経営判断だったのだ❗️




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モン族とは、中国ではミャオ族と改称させられた最大の少数民族グループ


ミャオ族(モン族)

中国では貴州・雲南を中心に分布。約900万人。伝説では5,000年近く前から登場しますが、漢代以降、中原から漢民族に追われ中国西南部へ移住してきたといわれています。


さらに、明・清時代の圧政の下、一部は、ベトナムラオスへ、ミャンマーへ移り住みました(ベトナムラオスではモン族と呼ばれる)。


銀細工ろうけつ染め、刺繍などに長け、特に祭りのときに身に着ける女性の民族衣装はカラフルで地域ごとに特徴があることで知られています。


納豆、もち米、味噌、しょうゆ、なれ寿司、歌垣、鵜飼などの共通点も多く、貴州民族学の草分け的存在である明治の人類学者・年鳥居龍蔵も同祖説を唱えています。


また、映画「ルーツ」が流行したころ(70代末)には、「日本人のルーツ探し」の対象としても注目を浴びました。




わたしは、そのモン族が日本に移動していた証拠を探していた。



もし、それが本当なら、アカ族系ハニ族が中国南部から日本に移動した最大グループ、その中に埋もれて見えなかった物語を蘇らせることが出来る。




銀装の民・ミャオ族

ミャオ族は、中国西南部の雲貴高原を中心に国境を越えてインドシナ半島北部の山岳地帯に広範囲に分布・居住する民族で、中国領内に約739万人、ベトナム領内に60万人弱、その他ラオス・タイ領内にも数万人規模で居住しています。 


貴州省は古名を「黔(けん)」と言い、その凱里を中心としたその東南部を特に「黔東南」と呼びます。 


その黔東南に住むミャオ族は、「青ミャオ」「黒ミャオ」などと呼ばれ、藍染の衣装にロウケツ染め・刺繍・織物・銀飾など多彩で豊かな伝統文化を守っています。


特にミャオ族の銀装は総重量20kgにもなるものもあり、他の民族衣装を圧倒するほどの迫力です。



姉妹飯節のお祭


子供だって銀装です!

(老屯)

そんな彼らの美しい衣装が見られる一番の機会はやはりお祭りです。

ミャオ族には旧暦の10月頃に収穫とミャオ歴の新年を祝う「ミャオ年」、中国の旧正月の数日後に各地で行われ、蘆笙の音に合わせて踊る蘆笙会、 男女の出会いを演出する台江、施洞の姉妹飯など数多くの祭がありますが、やはり銀装飾の華やかさから言っても姉妹飯節はその代表と言えるでしょう(「姉妹飯節」の「節」とは節句などと同義でお祭と言う意味です)。


姉妹飯節のメインは何と言ってもその迫力のある銀装です😂


ミャオ族の銀装は、非常に高価なもので、どの家庭でも全て揃っているわけではなく、家宝として母から娘へ受け継ぎながら、一つ一つ買い足していくのです。 


その細工も、村によって意匠が違い「鼓社節」では水牛を、施洞の「姉妹飯節」では鳳凰をあしらっているそうです。


お祭の当日には、多くの露店で賑わい、周辺の村々から銀装を身に纏った少女達がシャンシャンと銀細工のこすれる音をさせながら集まり、男達の太鼓の音に合わせて踊ります。

 

民家では赤や青、黄色に染めたもち米(姉妹飯)やご馳走、お酒が振る舞われ、祭はさらに盛り上がります。日本でもあったという歌垣が、ここでは今も行われているとも言われています。 


姉妹飯節の伝説

ずっと昔のことです。村には同姓の人ばかりなのに、ミャオ族のしきたりでは同姓の人と結婚できなかったので、皆なかなか結婚できずにいました。


そこで、年頃のきれいな娘たちは、遠くの村から若者に来てもらおうと、川辺でご馳走を作りお祭りを開きました。この噂を聞いて、付近の村からたくさんの年頃の男たちがやって来て、歌に踊りに、競馬に、闘牛、にぎやかなお祭りになりました。

娘たちはここぞとばかり厚くもてなし、別れ際には自分のハンカチにモチ米のおにぎりをたくさん包み、お土産として渡しました。


 これを出会いのきっかけに、男たちはしばしば遊びに来るようになり、それぞれ相手を見つけてめでたく夫婦になりました。


ミャオ族の伝説によると、姉妹飯節はこうしてはじまったと言われています。

現在でも姉妹飯節の時には、闘牛や、歌や踊りを繰広げ、姉妹飯というモチ米のおこわを食べ、若者たちは未来の恋人を探すそうです。





Ps  みなさん、ご支援ありがとうございます。ミャンマー、クーデターを放り投げて、現在、格闘しているのは、「北タイ探検紀」の取材です😂

わたしの丸い小さな写真(上)から、その連載が見れるので、訪ねて、是非、このバカは何をやっているのか見て笑ってくださいね。


ミャンマー 主要都市で10万人規模のデモ❗️ ネピドーでは衝突

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 ミャンマーの最大都市ヤンゴンは週明けの8日、クーデターで全権を掌握した国軍に対する抗議デモが続行されており、デモは10万人規模に拡大している。

デモは3日目に突入した。地元メディアによれば、参加者は全国で10万人以上。地方都市で連携して抵抗を続けている。



最大都市ヤンゴン、首都ネピドーに続き

マンダレー、バコーにデモ拡大!


国軍はデモ参加者に「法的措置」を辞さないとの警告を発しており、状況は緊張感を増している。

日系企業の多くは、混乱に巻き込まれないよう従業員を自宅待機させ、工場を操業停止させた。


クーデターを起こした国軍政府は、電話回線、ネット回線を遮断。

さらにFacebook を閲覧出来なくし、Twitterも遮断したが、軍事政権に反対する人々は伝聞で連携を呼びかけ続け、もの凄い数のデモに膨れ上がっている。



続報9日


首都ネピドーや最大都市ヤンゴンでは衝突が繰り返されている。

ネピドーでは警官隊が放水。その後も抗議を続けるデモ隊に発砲した。女性が頭部を打たれた。

マンダレーや中部バゴーでも放水し、マンダレーではデモ隊の一部を拘束した。







写真は以下の記事のものです。

集中連載中「日本人とタイの驚愕の血縁関係ードキュメンタリー」


https://note.com/reuter/n/n7c53d61b5b6b






#ニュース #速報 #ミャンマー #ヤンゴン

ミャンマーで軍事クーデター❗️国軍最高司令官が政権奪取❗️

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政権を奪取したミン・アウン・フライン最高司令官 再総選挙後、勝利した政党に移譲すると発表!



 ミャンマー国軍は1日昼、非常事態を宣言した。国軍は現政権が、国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官に「移譲された」とし、政権を奪取したと発表した。



総選挙のやり直しを命令❗️

勝利した政権に政権移譲を声明で発表


ミャンマー国軍は1日、国軍系テレビ放送を通じ、非常事態宣言の解除後に「(軍政下で制定された)2008年憲法に基づき、自由で公正な、複数の政党による総選挙を実施する」と声明を発表した。

「勝利した政党に政権を委譲する」と語った。2020年11月の総選挙(上下院選)の結果を無効とし、やり直す考えを示した。国軍側は非常事態宣言の期間を1年とした。




ミャンマーの与党国民民主連盟(NLD)の広報担当者は1日、アウン・サン・スー・チー国家顧問とNLD幹部が拘束されたことを明らかにした。大統領が拘束されている。また、通信も遮断され、軍部によるクーデターが起こった。


 国軍は1日昼、非常事態を宣言。国軍は現政権が、国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官に「移譲された」とし、政権を奪取した。 ミャンマーでは、NLDが地滑り的勝利を収めた昨年11月の総選挙を巡り、政府と国軍の対立が激化していた。国軍は選挙で不正があったと主張。1日は選挙後初めて、議会が召集される予定だった。 NLDの広報担当者はスー・チー国家顧問、ウィン・ミン大統領、その他幹部が「拘束された」と述べた。 「国民には早まった反応は控え、法に則り行動することを求める」と語り、自分自身も拘束されるという。 1日未明時点で首都ネピドーは電話がつながらない状態となっている。


今回のクーデターは、国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官により、政権を剥奪する事で、民主化はさらに遠のいた。



クーデターの深刻さは現時点では不明


ミャンマーでは、去年11月、5年に1度の総選挙が行われ、NLDが改選議席の8割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らした。

この総選挙をめぐって、ミャンマーの国軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど、多くの不備や不正があったと訴え政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っていた。

1日からの総選挙後初となる議会の開会を前に、31日夜も「このまま次のステップに進むべきではない」などと声明を出していた。



ミャンマー軍は1年間の緊急事態宣言を発令し、この間、軍による直接統治が行われるとみられる。

今後の展開については予断を許さないが、軍がUSDPを通じて実質的に支配する構図。

 スー・チーらNLD幹部を厳罰に処せば国民からの反動が大きいため、自宅軟禁などで拘束する公算が高い!



中国の影響力がさらに増す 


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中国にとってミャンマー天然ガスやルビーの生産国であるだけでなく、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるため、積極的な進出を進めてきた。

 2010年の民主化と前後して経済制裁は解除され、ミャンマーは再び大手を振って先進国とも取引できるようになった。

それ以来、ミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として先進国からの投資が相次ぐようになった。






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全人類の生き残りを賭けたアフリカ脱出

唯一度成功した150人のウルトレイア


地球家族の壮絶な物語 集中連載中


https://note.com/reuter/n/n7a75fbf80a63




#ミャンマー #ヤンゴン   #ニュース

#ニュースで語る #速報