reuterjapannews’s diary

宇宙のなかに住む住人は、どうすればその形がわかるのだろう,という世紀の難問ポアンカレ予想から出発した壮大なドキュメンタリー。決して外から形を眺めることができないがそれに挑む天才数学者たちが繰り広げる死闘を執念で追います。また、記者自身にもそれに挑戦させるとんでもない企画。数学や理論物理学がこれほどまでに凄まじいものかと、、。その煌きと感動を身をもってお伝えします(><);ギリシャ問題、中国バブル崩壊、性奴隷マーケット問題などニュースの裏側を伝えます。短期勝負なのでいづれブログではなくなります。Web MO

弥生人7000世帯が日本に渡来したわけ! 西暦535年のインドネシア火山が噴火 ラオス連載

 

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 中国まで届いた轟音2発

 1987年、アメリカ、スイス、デンマークの科学者チームが、グリーンランドの氷原を深さ2kmまでドリルで掘ったところ、氷の表面から500mほど下のあたりに硫酸層の存在を発見した。硫酸層は火山噴火の証拠。1990年の2度目の調査でも同様の結果が出ており、これらは、プロコピオスやヨーアンネースが残した当時の証言を裏付けた。

 証拠は南極の氷床でも出ており、535年以降に南半球でも硫酸を含む雪が4年以上降ったことが判明。地球は3世紀頃にも寒冷期があったが、この南極の氷床調査ではこの6世紀の酸性雪の量が膨大で、特に強い気候変動が急激に起きたことがわかった。

 

グリーンランドと南極の双方で同一時代の氷床に残る硫酸層。そして、南極側の硫酸層はグリーンランドの2倍の堆積が見られたことから、火山が南半球の熱帯で起きたと考えられている。

 

熱帯エリアで、世界規模の異常気象を引き起こしたほどの規模のカルデラを持つ火山は20。

ここで、ヨーロッパ以外の記録を紐解くと、中国の「南史」の中に西暦でいう535年に南京の南西方向から雷鳴のような轟音が2回聞こえたという記述が残れされています。原文は「有雷聲二」。

そして、20ある火山の中でこの方角に該当するのは、スマトラ島からジャワ島西部にあったクラカタウ火山ただ一つ。

 注)写真はスマトラ島の火山爆発です。

 

 

534年閏12月丙午、西南方で雷鳴が二度、響いた

注)中国の暦を西暦に換算すると誤差が生じるため。

 

 『南史』梁本紀第7に、高祖武帝治下の中大通年間の出来事として記録されていた。

一見すると、単に雷が落ちただけとも解釈できるが、このような記録は中国の史書では珍しい記述である。

この雷鳴とは何だったのか?

その雷鳴が人類の運命を大きく変えていったのだ。

 南朝の首都建康(現南京)から西南。建康西南といえば、マレー半島スマトラ島、ジャワ島の地域がある。西南には見渡す限り大海原が広がる。

『南史』の言う雷鳴は、何が起こっていたか?

 ――19世紀、棕櫚の葉の写本に書かれた古文献を基に、当時の王ラングガワシルタⅢの手で編纂されたインドネシア年代記『古代諸王の書』に記録が残されていた。



 地元の山(パトゥワラ山)から桁外れの轟音が聞こえてきた。

 あたりは真っ暗になり、雷が轟き、稲妻が走った。

 次いで、猛烈な強風が吹いてきて、それと共に滝のような雨が降ってきた。

 大嵐が世界中を真っ暗にしてしまった。

 そしてパトゥワラ山から大洪水が押し寄せてきて、東方のカムラ山の方へ流れていった。

 水が引きかけた後を見てみると、ジャワ島は2つに割れ、こうしてスマトラ島が生まれた。



 また、次のような記述も見られる。

 世の中全体が大きく振動し、鳴り渡る轟音と共に豪雨が降って来た。

暴風雨が何度も起こった。

しかし、その豪雨も噴炎を消すことが出来ないどころか、事態は一層惨憺たる様相を呈した。

その音は恐ろしかった。結局山はぞっとするような唸りと共に2つに割れ、地中深く沈んだ。パトゥワラ山及びにカムラ山の東方、そしてラジャバサ山の西方にあった陸地は海面下に沈んだ。スンダ地方からラジャバサ山までの地域に住んでいた人は溺死し、その遺体は財産もろとも押し流された。水が引いた後、その山と周囲の陸地は海になり、今まで1つだった島が2つになった。スマトラ島とジャワ島が出来たのはこういう次第だったのだ。

 アトランティス滅亡にも似て、世界の終末をも思わせる何とも恐ろしい伝承である。しかしここである程度疑問が生じる。

火山噴火の際の雷鳴が直線距離にして約4500kmも離れた建康まで聞こえるなぞあり得ることなのか? また、ジャワ島は2つに割れ、こうしてスマトラ島が生まれた。

 

 

 インドネシアには500を越える多言語国家で今でも互いに言葉が通じない。翻訳をさらに翻訳している間に、神話になったのかもしれない。しかし、溺死したひとの記述は近年のスマトラ沖地震とそのあとの津波の状況と合致している。

われわれはずっと、同じ苦しみを背負っていたが、共通言語がなく、また、文字をもたない民族が多かったため、そして、それらを統合して呼び出せるインターネット技術と「GOOGLE」の誕生を待たなければならなかったようだ。



さらに第2のストリーを展開していると、第3のストリーがスペイン語圏から浮上してくるなど、これはGOOGLE 翻訳の浸透により、世界の歴史が海面から浮き上がってくる。





デイヴィッド・キーズ 535年の大噴火

 

 1883年のクラカトア火山噴火の際、約5600km離れたマダガスカルまでその噴火音が聞こえたことや、1815年のタンボラ火山噴火の音が3000km以上先まで届いたことからも、『南史』の記述は非常に信憑性が高いと言えよう。続いて第二の問いだが、確かに地質学者は従来、「スンダ海峡における陸地の陥没は地殻変動によって徐々に引き起こされたもの」という認識を共有していたが、火山学者アラン・グールゴウの最近の調査によると、「スンダ海峡は部分的ないし全面的に、火山カルデラの陥没によって生じた可能性があるとのことである。彼の調査によると、スンダ海峡には上図のようなカルデラが見受けられるという。これらのことから、この近辺での噴火についてはかなり信憑性があるといえよう。さらに、この時期の火山噴火の存在を裏付けるように、グリーンランドGRIP地点の氷河や南極・バード氷河などの氷縞から硫酸を含んだ雪が降っていたことが確認されている。

 こうして火山は噴火した。しかしこれは更なる悲劇へのほんの引き金であるに過ぎなかった。というのもこの後、火山噴火に伴う水蒸気と火山灰が大気中を漂って日光を遮断することで寒冷化をもたらしたからである。最初豪雨が各地を襲ったが、その後は寒冷化による蒸発量の低下が原因で大旱魃が起こったのである。

これによって世界はどう変化したのか? 人類は生き延びることが出来たのか?






中国で起こったこと



 中国は前にも触れた「五胡」の侵入以来、ずっと分裂状態が続き、534年の段階では、秦嶺・淮河ラインを境に、北の魏、南の梁に分かれて抗争していた。この抗争も膠着状態になり、ある意味で微妙な均衡が成立していたのだが、ここにも火山噴火の余波が舞い降りた。

534年閏12月丙午、西南方で雷鳴が二度、響いた。

 異常なことが次々と起こった。翌535年の冬十月、雪のような黄塵が降った

これが火山灰だったか気候の大異変の原因はわからない。

この黄塵は、

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5501月丁巳の日にも観測された。

 537年の夏は異常な冷夏に見舞われ、6月、青州の山で霜害が発生し、さらに秋7月、青州で雪が降り、穀物収穫に被害を及ぼした。青州といえば、現在の山東半島の北緯37°に位置する。

 535年、飢饉が発生し政府は八月甲辰、南州など十二州に詔を下し、飢饉が発生した地域では、租税を滞納している者に特赦を与え、今年の三調の徴収を禁止するほどの対応をとらなくてはならなかった。異常気象は続き、皇帝は54111月、「『天の道を用いて、地の利を分かつ』とは古代の聖人の訓辞である。没収された耕作地や桑畑・住居について、皇室領となった土地を除いて、全て貧民に分け与えよう。彼らの労働力を調査し、耕作地を授けることとせよ。

 異常気象に伴い、今度は社会不安までが巻き起こる。

 

 

そしてベトナム

ベトナムでは5431月、交州の李賁が刺史蕭諮を攻撃し、首都近郊では大同八年(544年)春正月、安成郡の劉敬躬が邪法を身に付けて反乱を起こし、呼応する賊徒は数万人に至り、進軍して新淦・柴桑に迫った等、各地で叛乱が勃発した。

 これらの乱は幸いにも鎮圧されるが、異常気象は止まることを知らない。5459月に地震が起こった後、冬11月、大雪が降り、平地の積雪量は三尺に及び、54812月戊申、西北の空で天が裂けた。火のような閃光が走った。

これが何を示すのかは判らない。もしかすると550年に降った黄塵の原因となる別な火山噴火かも知れない。気候変動の上に地震までが重なり、飢餓が蔓延した。ついには5497月、九江にわたって大飢饉が起き、人を食う者が現れ、死者は145人に及び、550年には春から夏まで大旱になり、人々は人間を食った。首都近郊はとくにそれが甚しかったという。南朝梁の経済は完全に崩壊し、本来なら簡単に鎮圧できたはずの侯景の叛乱であえなく崩壊して、陳王朝に交代する。