reuterjapannews’s diary

宇宙のなかに住む住人は、どうすればその形がわかるのだろう,という世紀の難問ポアンカレ予想から出発した壮大なドキュメンタリー。決して外から形を眺めることができないがそれに挑む天才数学者たちが繰り広げる死闘を執念で追います。また、記者自身にもそれに挑戦させるとんでもない企画。数学や理論物理学がこれほどまでに凄まじいものかと、、。その煌きと感動を身をもってお伝えします(><);ギリシャ問題、中国バブル崩壊、性奴隷マーケット問題などニュースの裏側を伝えます。短期勝負なのでいづれブログではなくなります。Web MO

ウラジオストクの戦火  連載2

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歴史に名を刻んだ「おエイさん」

ロシア船員たちの憧れのひと

 

1909年秋、ウラジオストク住民の不安は頂点に達していた。日本との戦争が迫っていることから、ロシア人将校たちは家族を郷里へ送り返し、大規模な日本の商店も店じまいをはじめた。極東における緊張が頂点に達し、ペテルブルグの新聞は明日にも戦争の火蓋が切って落とされると報じた。

 

 ウラジオストクは1850年ごろ、まだ荒野のなかにあった。しかし、1880年以降、開発が本格的化し、日本の力を借りようと、ロシア政府は日本に対して協力を要請、多くの日本人がこの地を踏んだ。最初は1000人程度だったが数年後には5000人にも膨らんでいた。

 

多くは港町長崎の出身者で、ここに稲佐(長崎の対岸)というロシア租界地があった。九州出身者が船を利用したり、釜山を経由して困難な陸路をつたってウラジオストクへやってきた。

 

このころの街の雰囲気を若き外交官・杉浦千畝は記録に残している。上司に付き添い、ウラジオストクの船員クラブを訪れた。そこに集まっていたのは、日本政府から逮捕状がでていた反政府主義者が終結していたのだった。危険を感じた杉浦は上司に身元が割れる前に、ここを退散しようと席を立ったのである。

 

やがて鉄道が敷かれ、電信が通り、ホテルが街に建設されると、ロシア人以外では中国人、朝鮮人ユダヤ人などが集まってきた。そのなかで日本人は格別の存在で、国を挙げてウラジオストクへの殖民を支援していた。

商店は1等から3等までの等級の資本と社会貢献性から分けられ、この地に必要と考えられる事業の経験者らが集結してきた。

 

これに付き添うようにやってきたのが日本女性。長崎で遊女をしていた16-24才までの若い女性たちだった。

その数は街の発展とともに年々、増えるが、街のひとたちは暖かく見守っていたようだ。

わけても稲佐からやってきた「おエイさん」は、ロシア人の高級将校らから贔屓にされ、後にホテルを何軒も開業するほどの実業家としての手腕を発揮しウラジオストクの歴史に名を刻むことになった。

 

 

 ニコライ皇太子にも愛される

それだけではない。彼女はニコライ皇太子が長崎に訪れたときに夜をともにし日本随一のおんなになった。巷間では「ラシャメン」とよばれる高級遊女ながらその姿や立ち居振る舞いから、ひとびとの尊敬を集めるほどの人物だったらしい。

ロシア語が堪能なうえ、日本の外務省の文官(諜報活動をしていたスパイ)の愛人でもあったからだ。

 

それだけではない。おエイさんはロシア人たちにも愛され、歌にもなっていた。ロシアの船員が胸を焦がせる日本女性の気品をもっており、「長崎の娘」として謳われた。

 

「彼はキャプテン、故郷はマルセイユ

長崎の娘を愛しているのさ」。

 

彼女がニコライ皇太子に会ったのは31才のおんな盛りだった。皇太子は大の日本びいきで、日本人の船乗りがしていた龍の刺青までみずからの身体に刻むほどの入れ込みようだったと伝えられる。

 

これほど日本の外交史に名を残したのは訳がある。後に故郷長崎にかえり、インターナショナルホテルを開業、そして老人のための施設を、さらに財をなしてからは恵まれないひとたちへの寄付を率先して行ったボランティア精神のひとであったからだった。

 

ウラジオストクのこの話は、1947年生まれのロシア人、ゾーヤ・モルグンさん(極東国立大学東洋学院教授)が20年にもわたってウラジオストクの日本人の活動をまとめとことにより、残された。おエイさんは彼の情熱で日本女性の素晴らしさを歴史に蘇らせたのだった。

 

カンボジア2人の日本人とあわせて読んでいただければ、ボランティア精神とは何かが伝えられたらと、、、。

 

 

このページは連載ですが、取材中なので、折をみて書いている途中です。未完に終わる可能性もあります。

 

 

 

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  道永エイは万延元年(1860)2月18日熊本県天草郡大矢野島大字登立村に生れる。明治5年(1872)12才の時、両親を相次いで失う。明治12年(1879)12月、料亭・ボルガの女将・諸岡まつを紹介され稲佐に来る。

まつの世話で稲佐のロシア将校集会所で家政婦として働く。

稲佐はロシアマタロス休憩所が開かれて約20年たった頃である。ロシアは地元の庄屋、志賀家から千坪近い土地を租借し病院や艇庫や小工場を建て、水兵たちの休養の場としていた。 稲佐村にはホテル、両替所、レストランが作られ、またロシア海軍の兵士達は民家を借り受け住んでいた。お栄はここでロシア語を修得する。 明治14年(1881)21才の時、バルト号の船長付のボーイとしてウラジオストクに渡る。1年後に帰国し、その後上海に渡る。   明治16年(1883)上海より帰国する。流暢なロシア語と社交術で、再びボルガで働く。 明治22年(1889)ロシアの極東政策が本格化し巨大な東洋艦隊が長崎に入港するようになった。長崎港を見晴らす稲佐の台地に3百坪を借地し、ホテル・ヴェスナー(春)をつくる。客室21、ロビー、宴会場、遊技場も備えたホテルでは連日連夜、海軍士官達によりカルタ遊びや酒宴が繰り広げられた。

明治23年(1890)30才にて再度ウラジオストックに渡る。 明治24年(1891)、ロシア皇太子ニコライがシベリア鉄道の起工式に出席の途中ギリシャジョー親王とともに明治天皇の招待で日本を訪れた。長崎には4月27日に来て、5月5日鹿児島を経て神戸へと出発する。28日から3日間はお忍びで「上野彦馬の店」で写真を撮ったり、稲佐に上陸し、5月3日は丸山の芸者を招いて宴会を開くなどした。お栄はその宴席を取仕切り活躍した。 長崎への公式上陸は5月4日である。皇太子はこの後5月11日に大津事件に巻き込まれることとなる。

明治31年(1898)健康を損ね、ヴェスナーの経営はまつに任せ、平戸小屋(現在の大鳥町)の小高い丘の上に土地を買い、ロシア高官だけを顧客とする小ホテルと住居を建てる。 明治35年(1902)大浦の外国人居留地にロシア風ホテルを建てる。 明治36年(1903)6月、日本とロシアとの関係が悪化の一途を辿りつつある中ロシアの陸軍大臣クロパトキン(日露戦争では満州軍司令官)が軍事視察に来日し、彼女のホテルに21日間滞在する。クロパトキンはお栄に「あなたはロシア海軍の母だ」と賛辞を送っている。クロパトキンは予想以上に進む日本の近代化と軍備拡張を目の当りにしてこれに驚き、ロシア宮廷において対日非戦論を説いた・・・が受入れられることは無かった。 日露戦争が始まると彼女の一家は、露探・ラシャメン・非国民などと罵られ、家に投石され迫害された。 明治38年(1905)ロシアと講和が成立。旅順要塞地区司令官であったステッセル将軍も乃木大将との水師営会見後、この年の1月15日、家族一行16名で稲佐に上陸し、お栄のホテルに3日間滞在した。お栄は紋付きの礼装で極上の紅茶、菓子、果物を出し心からもてなしている。一行は庭先から見える港内の風景を異口同音に褒め称えたと言う。 一行は1月17日に上海に向け出発している。 明治39年(1906)茂木に純洋館2階建てのビーチホテルを開業する。階上に客室12、階下は宴会用の広間、音楽室からなる近代的なホテルであった。 彼女は長崎駅前に集まる200人もの人力車夫に毎月金一封を贈ったり、市内に「欧米風の新ホテル、茂木の海岸に現る」と日英両文で書かれたポスターを張り巡らすなどの宣伝を行ったこともありこのホテルは開業後1ヶ月で増築をするなど大変繁盛した。 昭和2年(1927)5月12日の朝、数え年68才でその生涯を終えた。

 

 

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上記記事はこの本の抜粋です。R18作品に分類されています。

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