ReuterJapanNews’s Dialy

バンコク駐在記者。ヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。国際NGOと連携して国軍の攻撃から逃れる難民を救おうと頑張っています。

彼女たちの国境 原題 NORTHKOREA ASCENDING 連載5

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女子大生が拷問に耐えきれず…

 

「電力事情は悪いのに、24時間、電灯がつけられていました。自殺や反乱の動きを監視、察知するためです。食事の量がごくわずかで、塩気がありません。収容者に塩を与えると脱走するという理由です。私は面会に来た家族に食糧と塩を差し入れてもらい生き抜きましたが、ナトリウム不足で出所後に死亡する人もたくさんいます」(ハン・チョンミさん)

 

チョン・スイルさんは、2006年4月に中国公安当局に逮捕された。辺防勾留所に100日収監された後、北朝鮮に強制送還され、穏城(オンソン)の保衛部に護送された。取り調べが終わると今度は保安署(警察署)、労働鍛錬隊、集結所など1年ほどたらい回しされ、2007年3月から2年間、全巨里教化所に収容された。

 

一つの部屋には22人が収容されていたが、8割が脱北者だった。そのほかに殺人、傷害、詐欺などの罪を犯した人もいたが、それ以外には、「中国キャリアの携帯電話を使用した」「韓流ドラマを見た」「韓国のラジオを聞いた」などの理由で収監されていた。

 

韓流に触れただけで、「この世の地獄」と称される拘禁施設に送られるというのもあまりにも理不尽な話だが、過去には、女子大生が拷問を受け、悲劇的な結末を迎えた。

 

国際社会や人権侵害の被害者は、生々しい告発を基に、北朝鮮を非難し続けている。それにもかかわらず、拘禁施設を拡張する金正恩体制には、拘禁者のみならず”人権”という発想が全くすっぽりと抜け落ちているようだ。

後述するが麗しの平壌の高麗ホテルにかつて、モランボンの団員は夜毎、呼び出されては正恩氏の相手をさせられていた。この部屋は「やり部屋」と呼ばれる。相撲部屋ではない、念のため。

 

 

 

 

■麗しい首都平壌と穀倉地帯の飢餓地獄

PyongyanのOLはスマートフォンをつかっている

 

 北朝鮮は2012年4月、金日成生誕100年祝賀行事と「祝砲」のミサイル発射で金正恩氏の新体制を内外に誇示した。ミサイル発射には世界からの21社170人もの外国メディアを受け入れて指導者デビューを飾ろうとした。ミサイルは失敗したものの、首都平壌は高層ビルの建設ラッシュ、その夜空は花火で彩られており「平壌は発展している」などと報じた外国メディアも少なくなかった。

 

 しかし、ジャーナリストで人権活動家の石丸次郎氏らの取材は、その平壌の繁栄が虚構であることを暴き、「人民の生活向上を重視」などと年頭に演説した金正恩体制の舞台裏に迫った。

 

 石丸氏が率いる取材チームが穀倉地帯の異変をキャッチしたのは2012年3月ごろ。以来、中朝国境に出てきた黄海道の住人取材や、チームのメンバーであり石丸氏が養成してきた北朝鮮人記者による潜入取材などを敢行して証言を集めた。

 

 『私の村がもっともひどかったのは2012年4月と5月でした。飢えて全滅した一家もあれば絶望して全員が自殺した家もあった。毎日5世帯、6世帯と死人が出た』(黄海南道、農村幹部)。

 

 『目を覆いたくなるような状況でした。青丹郡というところでは住民の何割が死んだかわからないほど。空腹でおかしくなった親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件があった』(黄海道の農村に党の方針を伝達するため域内を回った党中堅幹部)

 

 石丸氏が衝撃を受けたのは、取材した黄海道住民の全員から人肉食の証言が出たという凄惨な事態だという。親子殺人や人肉の密売流通などで、多くは保安部(警察に相当)に通報され処罰されているため住民の間で公然化していたという。

 

首都平壌と軍部を養うため

軍が農民の食糧を強奪

 

 「国中が疲弊するなかで平壌と軍の安定だけは金正恩体制の至上課題だった。黄海道から収奪されたのは、首都再開発事業に全国から動員された学生や青年同盟(金日成社会主義青年同盟)などを養う食糧と、平壌市民への配給用の"首都米"、軍部隊を維持するための"軍糧米"だ。地方幹部や警察など権力側がチームを組んで農村から強奪していた。いったい何を再開発していたのだろうか。後ほど明らかになる。

 

一方、軍用は軍糧米の名目で、収奪は収穫前に田畑に入るケースや収穫後に持ち去るケース、さらになけなしの食糧を隠している住民も、家宅捜索までされて強奪された」。

 

 約20年間、国境取材などで北朝鮮をウオッチし、約10年前から北朝鮮内部に記者を育成、潜入報道を行ってきた石丸氏は、黄海道が5、6年前から軍による収奪が行われていることを突きとめた。

 

 「しかし、2012年から始まった飢餓は明らかに金正恩氏デビューに伴う莫大な浪費によるものだった。新しい指導者が出たのに”軍に配給もない”では体制は保てないため穀倉地帯に負担を強制したのだ。われわれが取材した証言には、銃を持った軍人が脱穀所から食糧をすべて奪取した目撃談や、上部からの命令でノルマを課され暴力的に奪取する以外に方法がなかったと語る地方の党幹部などの話が少なくない」(同)

 

 取材チームは、入手した複数証言の分析から餓死者は数万人と推定した。黄海南北道は中国国境に遠いこともあり、中国への脱出者が全土で最も少なく情報が外部に出にくいという。

 

北朝鮮の食糧事情は好転している?

 

 欧州連合(EU)は2012年秋に北朝鮮に調査団を派遣、食糧事情を調査した結果は「緊急支援は必要なし」とされ、今年のEUによる対北食糧支援は打ち切られている。また国連の世界食糧計画(WFP)と食糧農業機関(FAO)が昨年11月に発表した報告書も2012-2013年の穀物生産予測は前年対比コメ11%増、トウモロコシ10%増で食糧事情は好転したとしている。

 

 しかし、北朝鮮は政治的な理由から調査を捏造(ねつぞう)データでごまかすことが多い。このため慎重なクロスチェックが求められる。「作柄が好転すれば幸いだが、農村への収奪については国際機関が本格的に調査する必要がある」。

 調査を続ける同取材チームのもとに現地からは、国際機関の報告とは全く逆の「今年の不作」の予測と生活の不安を訴える声がいまも相次いでいるという。

 

 

 

 

 

平壌は「貧民窟」が…

首都・平壌まで、廃墟が広がり始めた

 

「華やかなのは平壌市中心部の蒼光通りや栄光通りだけで、東平壌には巨大な貧民窟が広がっていました。真冬だというのに、通りには腐臭が立ちこめている。そして、地区の役場の職員たちが総出で、のたれ死にした遺体の処理をしていた。氷点下20度近い極寒の中、暖房もなく、食糧もなく、ついに首都・平壌まで、廃墟が広がり始めたのです」

 

こう証言するのは、このほど2年ぶりに平壌を訪れた朝鮮族の中国人実業家だ。「平壌だけは欠かさない」としていた食糧配給も、いまやすっかり途絶えがちだという。

 

 

配給ができなくて平壌は実質150万人に

「そもそも金正恩が指導した2009年末の通貨改革の失敗で平壌市民への配給が不可能になり、平壌市の面積を4割削減して、人口を220万から180万に減らしました。それでも配給できなくなったため、今年4月に、さらに市の面積を縮小し、人口を150万に減らした。今回は、ついに100万まで減らそうとしているそうです」。(注2)

 

 

首都・平壌でさえこれなので、地方はさらに悲惨な状況が広がっている。このような大量の餓死者、凍死者に加えて、粛清の嵐も吹き荒れている。韓国の情報機関である国家情報院幹部が明かす。

 

「2015年12月12日に、ナンバー2だった叔父の張成沢・党行政部長を処刑(火炎放射器で)して丸1年が経ちましたが、金正恩はいまだに、張成沢に関係のあった幹部の粛清を続けています。その数は2000人とも3000人とも言われます。張成沢の姉の夫である全英鎮・駐キューバ大使一家、兄の息子である張勇哲・駐マレーシア大使一家も、このほど処刑されたことが確認された。

 

朝鮮人民軍の幹部に対しても、相変わらず粛清が続いています。12月8日には、李炳哲空軍司令官が失脚したことが確認されました」

 

2015年12月17日、そんな不穏な空気の中、金正日総書記が死去して3周年を迎える。遺体が眠る錦繡山太陽宮殿では、金正恩第一書記が盛大な追悼式典を主催し、朝鮮労働党朝鮮人民軍の幹部らを引き連れて出席。偉大な父親の遺訓である「先軍政治」(軍最優先政治)の重要性を、改めて説く。

 

実際、金正恩は2015年12月に入って、1日に砲兵部隊、4日に軍1313部隊、8日に空軍部隊、13日に海軍潜水艦部隊を視察したことが報道された。秋には左足の足根管症候群の手術を受け、40日間も動静が伝えられなかったが、極寒の中、再び旺盛な視察を開始しているのだ。

 

「それはシリアとイラクで猛威を振るっているイスラム国という『新たな仲間』を見つけたからです。北朝鮮に兵器の大量注文が来て、金正恩はにわかに目を輝かせているのです」(前出・国家情報院幹部)

わたしは、この情報の裏づけをとるためピョンヤン入りしたのである。

結果だけを先に報告すると、ピョンヤンの中心部を流れる河、大同江の東側。船橋地区(ノンギョ)と呼ばれ、かつてビール工場などがあったはず。ここが貧民窟が広がっていた。ボロ服を着たひとたちが徘徊しているが、恐らく、地方から食べ物を探しに入り込んだのではないだろうか? わからない。

情報筋によると、すでの2010年3月の地点で、ピョンヤンの配給が維持できなくなり、この船橋地区は唐突に「江東郡」に編入され、配給がなくなったという。ということは、ここの住民ではないか。

 

 

 

 

北朝鮮アセンディング

金正恩の豪華絢爛推戴式

そして”核の冬”がくる!

スーツはロンドンの老舗「スキャバル」製、服地だけで最低1万ドルする。もちろんあたまは「文鎮高島田」、いや、ちがった「覇気カット」で決める。メガネのウエリントンはべっ甲製。この時、33才。

 

北朝鮮の平城で2016年5月6-9日、第7回朝鮮労働党大会が開催された。そこには海外からの要人の姿はなかった。孤立化を深める金正恩政権は中国政府からの干渉を嫌い、ロシアへの傾斜を強めるが、ロシア側からも無視された。これほどロシアのいらなくなった兵器を大量に購入する国はないのに、、。

ショーのクライマックスは4つの肩書きをもつ金正恩氏がさらに5つの肩書き(注1)を推戴し、名実ともに金日成-金日正-正恩と祖父、父と続く独裁政権の3代目を襲名したセレモニーだった。

正恩氏はスーツ姿で雛段に登場した。独特な日本の文鎮高島田の髪型に、メガネのスーツ姿。ビジネスマンの姿だった。それも、海外に伝わっていた肥満した120キロの体躯はこの日のために減量し、あの「覇気カット」と呼ばれる髪型がそれほどこっけいには映らない。つまり、減量には成功したのだ。左足の足根管症候群の手術を受け、40日間病床に伏せていたため肥満体になったようだ。

 

スイスに留学した金正恩氏はヨーロッパの文化を好み、身につけるブランド品、車までEUの品だ。車はドイツのベンツ。特注の防弾ガラスを組み込んだもので自ら運転することもある。

身のまわりのものはすべてヨーロッパ製。これにはわけがある憎き米国の製品はいっさい排除し、国民にも使わせないよう厳命している。ディズニー製品ですらその対象になっていた。ミッキー、ドナルド、熊のプーのDVDを観ただけで、逆さ磔けにされる。ほんとうは収監。

彼がこの日のために人民戦闘服の替わりに選んだスーツは、プーチン大統領もオーダーするロンドンの老舗「スキャバル製」。そして自家用ジェット機もロシア製である。だが、ロシアは意外にそっけなかった。ウクライナとの戦闘など西側で問題を抱え、自国の経済問題で朝鮮どころではない。

国とは名ばかり、ピョンヤンに集ったジャーナリストたちによると、近未来都市のような面と、それではない貧民窟ような両面を併せもつ、つまり40年前の上海のような不思議な街だったという。

つまり魔窟、、、。

地下鉄の駅構内のデザインも一風変わっている。広々としたプラットフォームに高い天井、照明はアジアを思わせる提灯のようなシャンデリアが異国情緒を醸し出す。だが、肝心の電車は一昔もふた昔前のそう、日本の昭和初期のようなものだった。

 

 

イギリスの国営放送BBCは勇敢に”平壌支局”を開設する計画をたて、記者とスタッフを送り込んだ。しかし、この国を取材するのは容易ではない。書けないことだらけ。つまり、北朝鮮側が伝えてほしいイメージと、ジャーナリストが見た現実のギャップ、溝が日本海溝ほど深いのだった。とてもまともな番組などできやしない。

BBCは平壌の病院を取材して、そこでモックアップのように、つまり、北の宣伝映画を制作するのと同じ手法で撮影することを強要される。完成したのがドキュメンタリー「平壌の偽医者物語」。この放送を見た金正恩は烈火のごとく怒った。

そして、BBCは記者、スタッフもろとも北朝鮮国内から追放された。とても残念だが、BBCの予算で北の宣伝映画制作は我慢ならなかったのだろう。せめて1,2年はふんばってもらいたかった。次はロシアのRTにでも支局開設にがんばってほしいところだ。

ドイツの登山家ハラーがチベットのラサに密入国し、ダライラマの教育係と国づくりをした伝記「7YEARS in・チベット」という名作がある。BBCならせめて、「7MONTH ・イン・ピョンヤン」を作ってほしかった。

深夜、この近未来都市(どうも距離は短いらしい)を防弾ガラスを装備したベンツが猛烈なスピードで走り抜ける、運転するのは正恩氏。アップになった覇気ヘヤが関取を思わせる。なんとカーブではドリフトしているではないか。そして、向かったのは高麗ホテルの地下駐車場。ガラガラだ。ここには正恩氏の貸しきり部屋がある。

夜毎、順番でひとりづつ呼び出される北の謎の美女舞踏団「もらんぼん」のおんな。姿勢がいい。美しい横顔。肌、それは透き通るようだ。

彼女の独白

『唄って踊ったのに、、、体重120㌔がのしかかられて、

まるで”罰ゲーム”だわ』。

ひと昔前の「喜び組」と同じ。父、正日氏がやっていた舞踏団”喜び組み”の名前が変わっただけのようだ。韓国の”少女時代”のような位置づけなのかも知れない。平城には春は来ない。冬の次に旱魃があり、そして秋を素通りして、また、冬がくる。

 

極東の沿海州日本海北側)はひとが住まなくって久しい未開地ばかり。魚も自然も豊富だが、北朝鮮が核実験を行っているのが、この沿海州側である。そんなことをしなければ自然豊かな森林地帯で資源開発、観光開発もこれからの土地だった。

 

プーチン大統領もスキャバルをご愛用。だが、ここに登場いただいたのは、アメリカ映画「金正恩暗殺」で映画を非難したときの表情らしい。

 

 

 

ウラジオストクがあの規模の都市になれるのだから、ここに地続きの都市ができればロシア、北朝鮮とも豊かになれるはずだった。つまり、極東の地中海都市である。北、韓国、中国、ロシア、日本が接する国境の街ができれば、それこそがプーチン大統領が望んでいた自由な貿易特区を設けることができた。ロシアはウラジオと、カムチャッカに今春、この政策を打ちだしたばかりで、投資を呼び込もうとしていた。ロシア大統領は喜んで応じたはずなのに。

国境の町はいついかなる時代も生き抜き、かならず繁栄する。それをスイスで学べなかったのが正恩氏の限界だった。冬が過ぎ、旱魃になり、核の冬がやってくる。

 

これからは「元山・金剛山国際観光地帯」の時代だ。スキー場も開くぞ。(注11)

 

 この事態を国連もただ黙ってみたいたわけではない-。

1990年代に入って、国連開発計画(UNDP)の呼びかけで、図們江デルタ開発計画が動きだした。今後20年間でこの地域に300億ドルの巨額な資金を投入して自由貿易地帯をつくり、周辺地域の経済を活性化させる計画だった。

で、どうなったっかて?

 頓挫したのである。

 

 

南北朝鮮の雪解けのとき、観光が再開された金剛山観光は、2発の銃弾で閉ざされた。

北朝鮮の観光地、金剛山(Mount Kumgang)で、韓国人観光客の女性が北朝鮮兵士に銃で撃たれ死亡する事件があった。韓国統一省高官が明らかにした。統一省はこれを受け、同観光地へのツアーを中止すると発表した。

 亡くなったのはパク・ワンジャ(Park Wang-Ja)さん(当時53才)で、午前4時半ごろ、ゴルフコース付近を散歩しているうちに軍の立ち入り禁止区域に迷い込んでしまい、胸部と足を撃たれた。遺体は、軍事境界線近くの韓国・束草(Sokcho)の病院に搬送された。北朝鮮南東部にある金剛山は、1998年に南北和解の象徴として韓国資本による開発が行われて以来、人気の観光地となっているが、銃撃事件が起きたのは初めて。

 

北朝鮮にとっては、金剛山観光は外貨獲得の柱であり、再開を韓国側へ要求している。しかし、度重なるミサイル発射と核実験で韓国側は態度を硬化させた。

さらに、国境付近で地雷が爆破し、一食触発の戦闘態勢に入った。これは両国首脳の対話チャンネルがオープンしていたため回避できたが、地雷一発で戦闘に雪崩れ込む手前まで行ったのである。これは最近の話だ。

 

 

スイス留学時代の金正恩

予測不能でとても危険

中央日報によると

 米国政府が北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)氏のスイス留学時代の同級生を対象に過去の行動を追跡してきたと明らかにした。米政府はこのような調査の結果、金正恩が非常に危険で、予測不可能な人物という結論を下したことが確認された。

 

キャンベル前米国務省東アジア太平洋次官補は、CNNとのインタビューで、「米国政府は金正恩の性格を正確に把握するためスイス留学時代の同級生に面談するなど多くの努力を傾けた」と話した。キャンベル前次官補は、「その結果われわれは彼が非常に危険で、予測不可能で、誇大妄想症があり、とても暴力指向的という結論を下した」と述べた。

 

面談対象者と関連しては、「スイスの学校の同級生だけでなく、幼少時の生活を知っているほぼすべての人に接触し会った」と明らかにした。キャンベル前次官補はまた、金正恩北朝鮮を離れスイスにある学校で7~8年間生活したと理解しているとも話した。

 

金正恩は1998年9月から2000年秋まで「パク・ウン」という仮名でスイスのベルンにあるリーベフェルト・シュタインホルツリ公立学校に通い、90年代半ばにもスイスに留学したという程度だけが知られている。そのためスイスの学校で7~8年生活したというキャンベル前次官補の発言はこれよりさらに具体的だ。キャンベル前次官補は米国政府がいつ、どのように金正恩の留学生活中の行動をつきとめたのかに対しては具体的に明らかにしなかったが、その時期は金正恩が権力を継承し始めた2011年12月前後とみられる。キャンベル前次官補はオバマ大統領就任直後の2009年6月から今年2月まで国務省で東アジア太平洋次官補を務めた。

 

キャンベル前次官補は、「年齢が幼い上に極めて暴力的な人物が北朝鮮の指導者という点は米国としては十分に脅威的。今回の張成沢チャン・ソンテク)粛清事件は北朝鮮が正常軌道を進んでいないという意味」と指摘した。特に「中国の大物外交官のうち1人が北朝鮮を『犬のえさの缶詰のようだ』と話して驚いたことがある。その外交官は『缶詰を棚の上に置いて開けなければ永遠に持続するが、一度開けてしまえばすぐに腐ってしまう』と話した」と伝えた。北朝鮮の急変事態に備えなければならないという意味だ。

 

一方、米国務省は16日、張成沢粛清事件を契機に北朝鮮が追加挑発をする可能性に備え十分な備えをしていると明らかにした。国務省のハーフ副報道官は、「米国はいつもそうであるように、北朝鮮当局に挑発行為をしないよう要求している。北朝鮮の内部状況を綿密に注視している」と話した。

 

国務省は前日にケリー国務長官が中国の王毅外相と電話会談したと公開した。ケリー国務長官は、「北朝鮮が野蛮と孤立、無慈悲さの道をずっと進むのか、そうでなければ国際社会に戻ってくる措置をするのかをめぐり選択しなければならないタイミングはまさにいまだ」と話した。

 

潘基文事務総長「張成沢の死刑は人権法違反」=国連潘基文(パン・ギムン)事務総長は国連本部で開いた記者会見で、「状況を鋭意注視する必要がある」とし、「張成沢の死刑は基本的に人権法を違反したもので、北朝鮮国連安保理決議案を順守し国民の生活を改善させる努力を傾けなければならない」と話した。

 

 

では、ここですばらしく改善された金正恩氏の個人資産をバスケットプレーヤーのデニス・ロッドマンさんが解説してくれる。

大衆網は「ロッドマンが暴露、金正恩からの待遇は七つ星クラス、彼はプライベート・アイランドを所有、無数のお付き添い」を掲載した。

ロッドマンは「北朝鮮での待遇は七つ星クラス、国家元首並みの扱いだったという。ロッドマン氏は金正恩第一書記が所有するプライベート・アイランドに招待された。

島にはゴージャスな施設が並び、60フィートクラスのヨット、数十台の水上バイク、乗馬用の馬などがそろっていたという。また金書記の身辺にはガードマンなど数十人が付き従っていた。」と話した。

 

朝鮮中央通信の報道によると、金正恩第一書記は31歳(現在33)の誕生日を迎え、李雪主夫人とともにアメリカのプロバスケットボール・NBAの元選手・ロッドマン氏らによる親善試合を観戦した。ロッドマン氏は試合の雰囲気を大いに盛り上げたという。試合は47対39で朝鮮チームが勝ち、両チームの選手に記念のメダルとトロフィーが授与された。試合の後、金正恩第一書記は選手たちと面会し、「すばらしい試合が観戦できた。米国の選手たちには、朝鮮で楽しいひと時を過すしてもらいたい」と話した。

 

北朝鮮をたびたび訪れている米プロバスケットボールNBAの元スター選手デニス・ロッドマンは、米誌「ドゥジュール」(電子版)のインタビューに応じ、北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)第1書記が「(1970年に死去した米ロックスターの)ジミ・ヘンドリックスやドアーズが大好きだ」と明かした。

金正恩氏の超高級クルザー 

クルーザーの価格は870万ドル(約8億3000万円)以上     

どうだ、まいったか!

 

 

彼女たちの国境 飢餓性奴隷自由 原題 北朝鮮アセンディング (Japan Cyber Library)

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素数ノ謎 解明への大航海: 宇宙の暗号 (NGO japan cyber library)

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